人や社会とつながりをもてずに暮らしてきた「引きこもり」の人たちは、東日本大震災のとき、どうしていたのだろう。
被災地に数多くいるはずの彼らも、自力で避難することのできない“災害弱者”になってしまったのではないか。
震災後、何度も被災地入りするうちに、津波が来る前、高齢者や足腰の弱い被災者たちは、遠くの避難場所に逃げる時間がなく、自宅の2階に「避難」したという証言を幾度となく聞いた。ところが、地域によっては「想像を超える」高さの大津波に飲まれ、家ごと流されていった被災者も少なくない。
こうした状況に際して、「引きこもり」状態だった人たちは、どう行動したのか。
そんな問いが頭から離れなくて、被災地に行くたびに、「引きこもり」を巡る取材も続けている。
前々回、震災後、2階に上がって家から出て来ないまま、津波に飲まれた当事者の話を書いた。今回も、やはり家の2階から出て来られなくて、津波に飲み込まれたものの、奇跡的に生還したという話を紹介したい。
震災までの15年間、
引きこもり続けた息子(48歳)
岩手県野田村に住む48歳の男性は、地震が起きたとき、母親(72歳)とともに、2階建ての自宅で暮らしていた。
国道45号線近くにある自宅からは、目の前に三陸鉄道北リアス線の線路と松林が見えて、その向こうには防潮堤があった。
8月中旬、筆者は、野田村の仮設住宅に入居している母親にインタビューした。男性は、盛岡市の病院に入院していた。
男性は元々、地元の高校に通った後、東京都内の解体関係の業務を請け負う会社に勤めていた。
ところが、15年ほど前に倒産。その後、仕事がなくなり、新聞配達などをしながら、住居を転々としていた。仕事を探していたが、見つからず、結局、故郷に戻ってきたという。