長らく「病院で亡くなるのが当たり前」だった日本
「病院で亡くなるのが当たりまえ」という日本人の死生観が変わりつつあるようだ。昨年、2016年には病院で亡くなる人の割合が4人のうち3人にまで下がった。
厚労省が9月15日に公表した2016年の人口動態統計の確定値による。全死亡者は130万7748人。その中で病院と診療所を合わせた医療機関で亡くなった人は99万630人で、全体に占める割合が、前年比0.8ポイント減の75.8%となった(図1)。75.8%は1991年と同率で、実に26年前の水準に戻ったことになる。
医療機関死亡率といっても、病院の割合がほぼ毎年97%前後で、診療所は極めて少ない。従って、病院死と呼んでも差し支えないだろう。以降の叙述では病院死と記す。
かつて日本では、自宅で亡くなるのが当たり前であった。統計をとり始めた1951年には、自宅死が82.5%にのぼり、病院死は11.7%に過ぎなかった。
それが、自宅死がどんどん減り出して、その減少分が病院死の増加となり、25年後の1976年には病院死が自宅死を上回る。その後も自宅死は減少する一方で、病院死は急ピッチで増加する。遂に2005年には82.5%に達した。ほぼ半世紀にわたって、病院死割合が増え続けてきた。
急激な病院死の増加時は経済の高度成長期と重なる。洗濯機や冷蔵庫、掃除機、冷暖房機、マイカー、カラーテレビなどがあっという間に各家庭に普及した。生活が一気に便利になった。
家族の誕生と死亡も家庭内で手を掛けることなく、より便利なサービスを求め、病院に任せる。それが豊かな暮らし方であると思い込んでしまった。
もう一つの要因は、豊富な財源を背景にした老人医療費の無料化政策であった。東京都の美濃部知事が着手し、大阪府の黒田知事が追随、さらに1973年には田中首相の指示で国の政策となる。病院への依存に一段と拍車がかかった。
今では、厚労省ですら「失敗だった」と認めるこの施策は、1983年の老人保健法の施行までほぼ10年続いた。