球団ごとの指導方針にもよるが、近年はプロ選手でも100キロ程度の緩やかなボールで練習するのが主流。一方、筋力が発達途上の中高生などでは「速球に打ち負けないパワーづくりのためにマシンを使う手もある」と説く。

 吉田はもともと、一人の野球好きの少年だったが、自営業で電気工事店を営んでいた父親は「野球なんかメシは食えないからやめろ」と厳しかった。そこで腹の中では「選手でなくても野球に携わって生きてやろう」と心に決めた。

誕生の原点は廃車エンジン
次男が見つめる父の背中

 そんな吉田が初めてピッチングマシンを造ったのは、何と廃車になったバイクのエンジンからだったという。中学卒業後、仕事をしながら地元、千葉県内の中学校で野球部の指導をしていた際、100人を超える部員に何とか練習させようと、我流で当初はローター式のマシンを生み出したのだ。

 この形で何年か使ったものの、やはり「タイミングが取りづらい」という問題は解消しない。何とか解決法はないものかと、電気屋だった実家にある道具を使いながら試行錯誤。吉田が30歳になるころ、今のアーム式マシンの原型となる製品の開発に、誰から教わることもなくこぎ着けた。

 当時はしっかりした直球を投げられるマシンは珍しいと評判を呼び、用具業者の紹介をきっかけにプロ球団への納入が決定。以来、数校の野球指導者を兼ねながら、マシン造り一筋で技を磨いてきた。

 現在は重要な工程を吉田が担い、次男が現場に入って作業を分担する体制を敷く。とはいえ、図面は相変わらず吉田の頭の中にしかない。「教えて身に付くもんじゃないから」。職人らしく語る父の背中を、作業場で次男が見詰めている。(敬称略)

(「週刊ダイヤモンド」編集部 竹田幸平)

【開発メモ】一から手掛ける作業場
 ピッチングマシンの専門メーカーである吉田加工所。吉田義社長の職人芸によって生まれるアーム式マシンは全て、この小さな作業場から生まれる。ねじの加工、鉄材の溶接から計100近くある部品の組み立てまで一つ一つ手作業で進行。「部品にも命がある」と話す吉田社長は細部の品質にもこだわり、鉄やモーターなどの仕入れ先は長年変えていない。