カメラとの出会い
師匠との出会い

――では、その師匠の方のことも含めて、カメラマンになった経緯を教えて下さい。

公文 もともと僕は理系の人間で、父がその方面の仕事をしていたこともあって、理工系の仕事がしたかったんです。漠然とでしたが、そういう仕事に就くものだと思っていました。きっかけとなったのは、ネパールへの旅行でした。高校の同級生にネパール人がいて、中学から大学卒業まで10年間一緒だった友人なんですが、高校3年のときに、初めて彼の実家を訪ねるのを兼ねた旅行に行きました。その体験があまりにも鮮烈で、どっぷりはまってしまって。大学の4年間のうち、合計すると約1年もネパールにいました。そのときに、カメラを持っていくようになったんですね。

 父からもらったオリンパスPENの古いカメラでした。そのカメラ、中のミラーが壊れていて、父がアロンアルファでくっつけてくれたんです。今考えたら絶対ありえないんですが、そんなカメラでもちゃんと撮れる。このあたりも理系的な考えなのかもしれませんが、美しい写真を撮りたいというよりも、構造や仕組みを知ることから入って「こういうふうにすればこう撮れる」というようなことを学んでいきました。そこからは一気にカメラにはまっていきました。自分で新しいカメラも買いましたし、カメラマンになりたいと思うようになりました。

――そこで師匠に出会うわけですね。

公文 実は僕には師匠が2人いまして、そうやってネパールで撮り貯めた写真を、師匠のひとりで、学校の大先輩でもある本橋成一さんに見ていただきました。ドキュメンタリー写真の大家である本橋さんに、「このまま作品を撮り続けていきなさい」という言葉をいただいたのですが、同時に「カメラマンとしての仕事も覚えたほうがいい」と、紹介されたのがもうひとりの師匠である山口規子さんでした。

 山口さんは、もちろんご自身の作品も撮られているのですが、広告をはじめ商業写真の仕事も数多くこなされていて、その現場につかせてもらいました。先ほど話した「外に出るカメラマン」というのも山口さんの仕事ぶりから学んだことかもしれません。

――師匠につくというのはアシスタント的な仕事をしながら、教えてもらうという感じですか。

公文 撮り方を教えてもらうということはないですね。他の方もそうだと思います。撮り方を身につけていくのは自分でとにかく撮るしかないんです。もう、撮ったもん勝ちといった感じで。

 山口さんには、とにかく現場に連れていってもらいました。様々なロケに、アシスタントとしてでなければ行けないようところに同行させてもらいました。本当にすごくいい経験でした。