先だって厚生労働省が示した年金支給開始年齢の引き上げ案。国民は切迫する年金財政の姿を目の前に突きつけられ、不満と不安を覚えている。結局、引き上げ案の国会提出は当分行なわれないことになったが、そもそも今のままでは年金制度の存続自体がおぼつかなくなる。改革のためには、問題を先送りしてきた政府の怠慢を追求する一方で、我々国民自身の「覚悟」も必要になる。(取材・文/友清 哲、協力/プレスラボ)
「老後まで一生働けということか?」
年金支給開始年齢引き上げに怨嗟の声
「ただでさえ、経済状況の先行きが不透明なのにもかかわらず、年金の支給開始年齢を68歳まで引き上げられたら、どうなってしまうのか。もはや老後なんてものは存在せず、一生働けと言われているみたいなもの」
厚生労働省が示した、厚生年金の支給開始年齢を68歳とする引き上げ案は、予想通り多くの波紋を広げた。その大半は、政府の泥縄式な対応への憤りと見て間違いないだろう。
「支給開始間近の人だけでなく、扶養する家族にとっても決して小さくない問題。行政の都合で全ての世代が振り回されているのだから、たまりません」
そう声を荒らげるのは、関東郊外に住み、親・子・孫の三世帯で生活するサラリーマン男性(30代)だ。そもそも年金問題については、制度としての先行きの不透明さに加え、2007年に発覚した社会保険庁の記録不備による“消えた年金記録”問題も手伝い、国民の不信感は頂点に達している。
巷では「調達と支出が調和していない現状を解決する術やアイディアは、少なくとも現政権にはない」(40代女性・会社員)といった声を聞く機会も、決して少なくないのが現状だ。
2004年の年金法改正を経て、「100年安心」とうたわれた日本の年金だが、当時の自公政権の要求に合わせて厚労省が無理矢理つくり上げたシナリオは、まさに砂上の楼閣だった。