チャーターバス40台でアウェー観戦
主力として活躍してくれた元選手で、コーチ陣としてチームの強化に残った者たちは、様々な面でサポーターへのサービスに力を尽くしてくれた。試合後彼らは毎回出口に立ち、あいさつとともにサポーターを見送る。サポーターにとっては驚きであり、エキサイティングなことでもあっただろう。
ファンサービスで彼らに協力してもらったことは数多いが、中でももっとも大きいのが「アウェーバスツアー」への添乗である。
セレッソではアウェーでの試合時に、バスを用意して観戦ツアーに出かけるという企画を行っていた。いわゆる弾丸ツアーなので、余計な費用は一切かからない。代金は往復でだいたい7000円台に収まった。旅行代理店を通さずに完全に自前の企画で進めたことも、安さの一因となった。
ツアーでは、数台のバスそれぞれにセレッソの人間が分乗し、添乗員を務めた。もちろん私もその一人だが、人気を博すのはやはり元選手たちだ。添乗員となった私たちはセレッソの裏話――大っぴらには語れない監督辞任劇の裏側なども含め――を語って、車中を盛り上げた。
2001年、J2降格直後の天皇杯決勝の折には往復4000円の超格安ツアーを組んだ。シーズン中の惨憺たる成績とはうってかわって、天皇杯でのセレッソは痛快な勝ちっぷりを見せていた。そこで、低迷の年を支えてくれたサポーターへの感謝、天皇杯での雄姿を見てほしいと言う思いを込めて企画を立ち上げた。当然赤字が出るが、「ええやん、800万くらい」という気持ちだった。
2003年の天皇杯も決勝まで勝ち進んだ。このときのツアーバスは40台に上った。年末年始の混み合うときに大急ぎでチャーターしたので、いろんな会社のバスが混じり合っていた。大みそかの長居スタジアムの駐車場に、「●●交通」「○◯バス」など、遠い県や町の名を記したバスがびっしり並ぶ。おかしな光景だが、これまた代理店を通さず、自分たちの手で何でもやるセレッソ流の持ち味が出たのではないかと思う。
ちなみに、2001年、2003年とも、結果は敗戦。セレッソ大阪悲願のタイトルは、いまもまだ悲願のままである。