イギリスで市民に近いサッカーに触れ
将来性を感じてスポンサーになる決意

 飯島は、当時の博報堂の担当者から「ある程度、目処が付いていたスポンサーが降りてしまい、新たなスポンサーを探している」という話を聞いたという。

2017年大会の決勝は、セレッソ大阪と川崎フロンターレが戦った

 博報堂が目星を付けていたのは、ある時計メーカーと化粧品メーカーだった。ところが、これに川淵が異を唱える。

 飯島は担当者からの話だとことわった上で、「川淵チェアマンが、Jリーグが掲げようとしていた、地域に根差した存在を目指すという理念を考えれば、時計や化粧品より食品がいいのではないかと話している」と聞いたという。

 ちなみにこのとき、飯島に大会スポンサーの話を持ちかけた担当者というのが「(飯島の)いとこの同級生」だとのことで、「そういう関係もあってうちに持ってきたということではなかったかな」と笑う。「お互いに知っている仲だということもあり、出向いた先でスポンサーに関する話が出た」とのこと。この提案に対し飯島は即答している。

「まあ、それなら受けさせてもらおうかと、その時点で決めました」(飯島)

 数億円の資金が必要な契約で、「はい決めました」で通るものでもない。飯島は苦笑いしながら「ワンマンな会社ですから(笑)」と話すが、サッカーに対する理解が飯島にあったことが大きな要因と言える。

 こうした決断は、飯島の原体験がベースにある。若き日の飯島はイギリスで学んだ時期があり、サッカーの将来性と世界的な広がりを肌で体感していたのだ。

「1960年代の後半。昭和で言うと42年か43年の頃ですが、イギリスのマンチェスターにあるケーキ会社に研究に行っていたんです」(同)