無理にやる気を出そうとすると、からだはギックリ腰を引き起こして、少しのあいだ立ち止まる時間をつくってくれます。
それでもまだまだ、がんばってやる気を出そうとする人もいます。そうなると、しかたがありません。からだは最後の手段に打って出ます。それが不整脈です。
からだが、
自らの死を意識させる
「不整脈に気がついたとき、いつ、いきなり死が訪れるかわからないという恐怖に襲われた」。そうGさんはいいました。
もしからだが、Gさんに死を意識させるために、不整脈という症状をつくったとしたら、きっとこんな理由なのかもしれません。
高校野球やオリンピックなどで活躍した選手が、よくこんなことを言います。「うれしいっす。もう、死んでもいいっす!」。そしてこころざしなかばの人は、こんなことを言います。「ひと旗あげるまでは死ねない!」
ずっと悔しい思いをしてきたGさんの行く手に、自分の才能を発揮できる道が近づいてきました。「やる気がでない」という感情からスタートし、ギックリ腰を起こし、いまは心臓にまで負担がかかっています。
それなのに、無理をして岩を押し、力尽きて死んでしまったら……。何かを成しとげた達成感を得ることなく死んでしまうことになります。
ヒーローになりたいと願う人であれば、こんな死にかただけは絶対にしたくないと思うはず。ここまでおどかせば、さすがに足を止めるかもしれません。
わたしはこうしたギックリ腰の患者さんを見るたびに、「か~。またすごい才能のもち主が来たぞ……!」と思います。
人はそれぞれすばらしい才能をもっています。ただ、その才能に気づくにはタイムリミットがあるのです。
野球の才能のある人が、50歳で才能に気づいてもどうしようもありません。そこでからだは、才能を生かせるチャンスゾーンに近づいたとき、あるいはこれから何度かチャンスが来る場合は、「やる気がでない」という感情をメッセージとして発信します。
いよいよタイムリミットが近づいてくると、ギックリ腰という症状で、そして最終タイムリミットのときは不整脈といった、命の期限を連想させる症状を出すようなのです。