2011年3月期決算では過去最高益を更新した富士重工業。筆頭株主トヨタ自動車との協業深化を突破口に構造改革を敢行し、限られた経営資源を米国へ集中投下した結果である。鮮やかに復活を遂げた富士重を、今度は円高進行が襲う。従来以上に、トヨタ由来の経済合理性が求められる過程で、スバルファンを魅了し続けてきた「個性」が失われることはないのか。(「週刊ダイヤモンド」編集部 浅島亮子)
10月23日から29日まで、吉永泰之・富士重工業社長は米国を訪問していた。富士重の自動車ブランド「スバル」の販売店や生産拠点を視察するためである。
吉永社長は“お詫び行脚”を覚悟していた。スバル車の販売は絶好調であるにもかかわらず、旺盛な需要に見合う新車供給が追いついていないからだ。
3月の東日本大震災の発生で、日本の自動車産業を取り巻く環境は一変した。部品供給が滞り、富士重の日米の生産拠点でも大減産を強いられた。
米国市場では在庫60日分を備えるのが適正とされているが、15~20日分まで逼迫している。吉永社長が視察した月販50台を販売する店舗(適正在庫は100台分)でも、広大な敷地にわずか25台の新車が寂しげに展示されている始末。にもかかわらず、販売店オーナーの表情は明るい。「新車の納入予定が決まったから、どんどん売るよ。まもなく販売される『インプレッサ』のフルモデルチェンジにも期待している」。
10月から、富士重は、日米の生産拠点でフル増産体制を敷く。下半期に両拠点合計で過去最高となる39.2万台(前年同期比30%増)を生産する予定。米国市場全体の需要は成熟しており、「好調なマクロ経済指標はなに一つないが、スバルはまだ伸びる」(吉永社長)と強気の姿勢を崩さない。米国における販売台数では、上半期実績は11.4万台(前年同期比12.1%減)と落ち込んだが、下半期計画は16.8万台(同12.1%増)と反転攻勢に出る。
富士重にとって、米国市場は押しも押されもせぬ稼ぎ頭である。2007年2月に、森郁夫社長(現会長)が前中期経営計画で、「最重要市場は米国」と定めて、商品開発の軸足を日本向けから米国向けへと移したのだ。07年のインプレッサの全面改良に始まり、08年春の「フォレスター」のフルモデルチェンジ、09年秋の「レガシィ」のフルモデルチェンジが立て続けに成功を収めた。その肝は、車体の大型化。また、「619ある販売店のうち約3割は、オーナーや立地を入れ替えた」(小林英俊執行役員)ことで質的に販売網が強化された。