仕事を自己実現の手段と考えない人がいてもいい

 かりにベーシックインカムのような制度ができ、最低限の生活を受け入れて、働かない生き方を選択した人がいれば、その人はこころがタフなのかもしれません。

 周囲からの評価を気にせず、好きなことをしている自分を受け入れられる。周囲から「それでいいの?」と言われても「いいんだよ、オレは」と言える。自尊心が傷つくこともない。これは揺るぎない自己を持っていないとできないことです。

 もし「周囲は働いているのに、働かない私はダメな人間だ」と自尊心が傷ついてしまうようなら、働いたほうがいいと思います。

 だからといって働かない人を排除する必要もないし、仕事が好きになれないからといってダメな人間だと烙印を押す発想も、社会を貧しいものにしてしまうでしょう。

 人の役に立っていると感じられなくても、仕事に生きがいを感じられなくても、人は仕事をすることで満足していいのではないでしょうか。経済活動に貢献していなくても、その人の価値が下がるわけではありません。

 働かなくても生きていける社会は、何らかの理由で自分が働けなくなったときに安心できる社会でもあるのです。働かない人を徹底的に排除する社会より、そのほうがよっぽど豊かな社会だと言えるのではないでしょうか。

 もちろん働くことに喜びを見出すことができる人は幸せでしょう。

 しかし、見つけられないからといって責められるわけではないのです。

 仕事をすることの到達点が自己実現だと言う人がいます。そこに到達するためにつらい仕事にも耐え、あるいはつらいと考えることさえ否定してしまいます。

 しかし、仕事で自己実現しなければならないということでもないのです。

 仕事の目的が自己実現という考えがスタンダードになると、万が一自分が働けなくなったとき、社会のどこにも身の置き場がなくなってしまいます。

「最低限の生活保障をもらって働かない」
「自己実現の手段としての仕事を通じて人の役に立ち、世界を変える」

 この二つを両極だとすれば、その中間にいるのも悪くないのではないでしょうか。