「ペトロヴィッチさんが2位の慰労会をやって帰ると言ってくれたのがすごい印象的でした」

 そう飯島が振り返るのは、広島が初めてヤマザキナビスコカップ決勝に進出した2010年のこと。広島がジュビロ磐田と対戦したこの決勝は、広島が先制を許しながらも一時は2−1と逆転。優勝まで残り数分というところまでこぎつけていた。

 ところが後半89分に同点ゴールを許し、2−2で延長戦へ。この延長で広島は連続失点。1点を返しながらもダメ押し点を奪われ、5−3で敗れていた。まさに、手に掴みかけたタイトルを残り数分で失ってしまったのだ。選手はもちろん、ペトロヴィッチ監督の落胆は、言葉には言い尽くせないものであろうことは想像に難くない。

 実際、25回に渡り表彰式に出席し、敗者の悔しさを間近で見続けてきた飯島は、こう語る。

「決勝ですから勝ち負けが決まるんですね。もちろん負けた方は、ぐったりしてるんです。声をかけても、何も答えないんです」

 それほどまで落胆していたにもかかわらず、ペトロヴィッチ監督が準優勝をねぎらう会を開催すると聞いた飯島は、とにかく嬉しかったという。

「ああいう風に、ねぎらう会を開くと言ってくれて。カップ戦を認めてもらえたというような感じがしましたね」

 この話を聞いた川淵は、「そういうことを言える人は少ないよね」と話すと、「威張る感じが全然ない方なんですよ」と飯島を評した。

 こんな出来事があった2010年以前は、監督との交流があまりなかったという飯島だが、この件以降、ペトロヴィッチ監督と会えば語り合う仲になったと話す。また、表彰台には上がってこない試合後の監督に挨拶をすることもあるという。