江戸時代に名字があったのは武士だけ?
名字にまつわる「ウソとホント」
日本には10万を超える多くの名字がある。それらは極めて身近なものだが、その由来や歴史については意外と知られていないことが多い。名前の由来は両親に聞けば教えてもらえるが、名字の由来は両親に聞いてもわからないことが多く、学校で教えてくれるわけでもない。インターネットで検索すれば多くの情報がヒットするものの、ネット上には多くの誤解が蔓延しており、何が正しいかを自分で判断するのは難しいだろう。
最も誤解の多いのが、江戸時代に名字があったのは武士だけで、それ以外の人には名字はなかったという説。江戸時代、人口に占める武士の割合は1割程度だったため、9割に及ぶ人たちが明治になって名字をつける必要が生じた。
何を名字にしていいかわからない庶民は、お寺の住職や、庄屋さんなどに相談。最初は1人ずつきちんと考えてつけていたものの、途中から面倒くさくなって、漁村なら魚の名前、農村なら野菜の名前を名字にしたたため、地方に行くと村中みんな魚や野菜の名前ばかりの村がある、という話もまことしやかに伝えられている。
しかし、これは実話ではなく笑い話にすぎない。一定年齢以上の人だと小学校で「武士以外は名字がなかった」と習ったという人が多いが、現在研究者でそう考えている人ははまずいない。
というのも、すでに室町時代の農民の名字が書かれた史料が見つかっているうえ、江戸時代中期以降の町人の墓には名字が刻まれているのが普通だからだ。
そもそも、教科書には「武士以外は名字を名乗ることができなかった」と書いてある。つまり、公式に名字を名乗ることが禁止されていただけで、名字を持っていなかったわけではない。「名字帯刀を許す」というのは、自分の持っている名字を公式に名乗ってもいいよというお達しで、その場で新たに名字をつくれという命令ではない。