2017年上半期の米アマゾンのベストセラー歴史書『米中戦争前夜 新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』。本書では、台頭する新興国と、守りに入る覇権国がいつしか戦争に突入する要件を、過去500年の事例から分析し、現代の米中関係への示唆を提示していきます。本書邦訳版の刊行を記念し、世界のパワーバランスの変化を踏まえ、日本は政治経済両面でどのような戦略を練るべきか、本テーマに造詣の深い実務家・識者に伺っていきます。まずお1人目は、元防衛相として実務に通じ軍事・防衛問題の分かりやすい解説に定評のある石破茂議員。前後編でご紹介していきます。

実質的な国土は拡大していく、という考え方

――中国が軍事・経済両面でさらに力をつける一方、アメリカのトランプ政権は国内外でアメリカ第一主義の姿勢を強めています。パワーバランスの変化をどのようにご覧になりますか。

「戦略的国境」を拡大する中国に日本はどう向き合うべきか 石破茂議員【前編】石破 茂(いしば・しげる)1957(昭和32)年、鳥取県出身。慶應義塾大学法学部卒業後、三井銀行入行。1986年衆議院議員に全国最年少で初当選。防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣、国務大臣地方創生・国家戦略特別区域担当などを歴任。著書に『国防』『国難 政治に幻想はいらない』(以上、新潮社)、『日本人のための「集団的自衛権」入門』『日本列島創生論 地方は国家の希望なり』(以上、新潮新書)など多数。(撮影:疋田千里)

 中国の軍事力や経済力については識者によって意見が割れていて、本当のところはわかりません。習近平国家主席がいう「中国の夢」が何を指すのかも、具体的なイメージとして共有されているとは言い難い。ただし、中国が過去、アヘン戦争が起こる17世紀までは経済力でも領土の広さでも世界最大の大国だったのは事実です。だから、「世界最大の国として甦りたい」という気持ちが強いはずだ、とは思いますね。

 中国では天命を受けた正統な王朝として、中国共産党政権が長く続いてきました。経済は資本主義、政治は一党独裁という世にもまれなる国家運営がなされています。目下、非常に大きな貧富の差が生まれてはいますが、一党独裁ですから国民の不平不満が民主的に解消されることは望めない。日本のように、自民党への不信感が高まったから鳩山民主党政権が誕生する、なんてことは中国では起こりえません。ですから、国民の不平不満は鬱積するでしょうし、内乱も起こるでしょう。

――共産党一党独裁を守りつつ、国民の不平不満を解消・抑圧するためには?

 方法は、おそらく二つあります。

 一つは、人民解放軍で制圧する。同軍は共産党の軍隊であって、中国の国軍ではありませんから、共産党に刃向うなら、国民であってもノーベル文学賞受賞者であっても、銃を向けるぞ、拘束するぞ、という話になる。天安門事件を否定する人がいないのはその表れではないでしょうか。もう一つは、資本主義の宿痾である、貧富の格差拡大と、権力と資本の癒着を回避するために、綱紀粛正を強める。

 そして、公式には言っていませんが、中国の軍人のなかには「戦略的国境」という概念が根強くあります。中国の国力に従って国境は動く、ということで、中国は経済と軍事を一体と考えていて、14億人に必要な食糧やエネルギーを海外に求めると同時に、軍事力を増大させることで、実質的な国土は拡大するという考え方です。

――「戦略的国境」は、国際法上や他国とは相いれない考え方ですね。

 にわかには信じがたい発想ですよね。でも実際のところ、軍事力は増大しています。正確にとらえるのは難しいですが、複数の国際研究機関がはじき出す軍事費の伸びが一つの指針になるでしょう。「軍事費」と一言で言っても、そこに何が含まれるのかという細かい話はありますが、ともかく急速な成長を遂げているのは確かです。2020年代にアメリカ(2015年で5960億ドル)の半分は間違いなく超えると言われていて、アメリカの軍事力の相対的な低下は否めない。

 中国が初めて核実験を行ったのは1964年10月16日と、もう半世紀も前のことです。それは、6日前に開幕した東京オリンピックの真っ最中でした。日本が戦後復興を世界にアピールしていたそのときを狙いすまして、中国は核実験を実施した。その時の中国の外務大臣は「ズボンを質に入れても核を持つ」と言ったと言われています。いまや、世界第二位のGDP(国内総生産)を誇り、国際連合の安全保障理事国となって、名実ともに世界のトッププレーヤーに躍り出ています。

――有言実行で、粘り強く戦略を実行していく国です。対する日本は…

 先ほど言った通り、アメリカの力が相対的に下がっているなか、同盟国である日本はこれからどうするのか。中国なんて大嫌いとか、永遠の日中友好バンザイ!とどちらかに偏るのでなく、中国がどんな国なのか、リアリズムを前提としてあたらなくてはならない。

 中国が核実験をした当時の池田勇人総理大臣は病気のため東京オリンピック終了と同時に辞任し、後を継いだ佐藤栄作新総理がただちに訪米しました。そして時の合衆国大統領リンドン・ジョンソンに「日本も核を持つ」と宣言しました。アメリカもそう言ってくるだろうとは想像していただろうけど、戦後まだ20年の日本に核を持たせるべきではないと判断して、日本が核武装しない代わりに、日本が攻撃を受けた場合は核による報復攻撃を確約する。そして、佐藤総理は非核三原則「持たず、つくらず、持ち込ませず」を表明します。そのまま冷戦期は過ぎ、さらにソ連が崩壊してバランス・オブ・パワーが崩れて、状況は大きく変わっていきました。