「戦争をしない」状況を合理的に作るための集団的自衛権

――冷戦終結から30年近く経ちます。

 冷戦が終わったとき「世界が平和になる」という声も一部で出たようですが、そんなわけはない。戦のタネは、領土、宗教、民族、政治体制、経済格差と、常に尽きることがありません。冷戦期は米ソというスーパーパワーがあり、核も含めた軍事力が均衡していて抑止されていただけです。ソ連の崩壊でその均衡が崩れたことによる結果が、湾岸戦争であり、コソボ戦争、イラク戦争、今の北朝鮮問題でしょう。

 バランス・オブ・パワーを維持するために、そして自国を守るために、日本に何ができるのか。そう考えて私が主張してきたのが、集団的自衛権の全面的な行使容認です。これは、アメリカと一緒に世界中のどこへでも行って戦争するという権利なんかじゃありません。「戦争をしない」状況を合理的に作るために必要なのです。

――集団的自衛権の行使を是とするか、日本では議論が続いています。

「戦略的国境」を拡大する中国に日本はどう向き合うべきか 石破茂議員【前編】集団的自衛権の行使を念頭に各国と協力できる体制を築くべき、という石破議員

 集団的自衛権の背景を少し説明します。

 第二次大戦の反省を踏まえ、国連憲章では戦争を実質的に禁止するとともに、仮に戦争を仕掛けるような乱暴な国が現れたら、国際社会が一致団結して平和を取り戻そうという「集団安全保障」の概念が生まれました。しかし、安全保障理事会の5つの常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)のいずれかが拒否権を発動すれば、集団安全保障は機能しません。あるいは安全保障理事会が対応してくれるまでの間に攻められてしまうかもしれない。だから、自国が攻められたら自衛する「個別的自衛権」と、関係の深い国々がともに防衛する「集団的自衛権」という権利が、すべての国家に認められたのです。

 なのに日本では、その集団的自衛権を「国際法上保有しているが、憲法上行使はできない」というややこしい解釈にしてしまった。ですが、この点における政府の憲法解釈も変遷があり、憲法問題ではなく政策選択の議論であって然るべきです。

 しかも世界の軍事バランスが変化している今、アメリカの戦略も従来のハブ・アンド・スポーク型からネットワーク型に変わってきています。であれば日本もアメリカとの間だけでなく、集団的自衛権の行使を念頭に、オーストラリアやニュージーランド、イギリス、インドなど多国間で協力できる体制を築くべきではないでしょうか。(談)

*後編につづく