多数の仏メディアで話題となった全仏ベストセラー
世界22ヵ国で翻訳された猫に教わる人生指南書の日本語版『猫はためらわずにノンと言う』がこのたび遂に刊行された。
他人の目は気にせず、決して媚びず、欲しいものは欲しいと言い、プレッシャーに屈せず、エレガントで自信に満ち、ひとりでも平気……子猫の時に事故にあい、左前足を失くした猫ジギーが、そんなハンディキャップをものともせず、むしろ「それが何か?」と気にもかけずに振る舞う姿は、常に他人の目を気にして、何かに追い立てられ、せわしく動きまわっている人間たちに、自分らしく生きるために本当に必要なことは何かを伝える本書から、一部抜粋して紹介する。
猫を飼っている人、猫好きな人だけでなく、猫のように、そこにいるだけで自然と一目置かれる存在になりたい人にも役に立つ!
何気なく見ていた猫たちの日常の仕草には、猫だけが知る深い人生哲学が込められていた!明日から、猫を見る目が変わります。
なぜ、自分の居場所を絶対に譲ってはいけないのか
(ミシェル・トゥルニエ/小説家)
自分に自信のない人は多い。
他人の前で何か言おうとしても、恥ずかしいとか、馬鹿にされないかという心配が先に立って、言うべきことがはっきり言えなくなってしまう。
一方、他人が話すことや知っていることが立派なことに聞こえて、いよいよ自分がつまらない存在に思えてくる。
しかし、この「他人」とはいったい何だろう。
誰だって誰かの「他人」である。あの人たちは自分より偉いなどと思っても、そう決めたのは自分自身だ。言ってみれば自分で作った棚に他人をのせてしまったようなものだ。家の中と同じ、棚が多ければ多いほどその上にのるものも増えていく。
他人とは、実はあなたの道に立ちふさがって、ただ邪魔をしているだけの存在かもしれない。
他人があなたの居場所を奪ってしまって、一歩を出そうとするあなたの足を踏みつけていると考えてみよう。もし猫だったら、こんなことを許すだろうか。
ためしに猫の足を踏みつけてみたらいい。
きっと大きな抗議の叫び声と同時に、ふくらはぎあたりに爪を突き立てられるのを感じるに違いない。
自分の足が踏まれるのを許してはいけない。
「他人」にそんな権利があるだろうか。放っておいたら、足を踏まれた次には頭を踏みつけられ、しまいには窒息させられてしまうかもしれない。
相手との関係はあなたが作るもので、「他人」はあなたが許したところまでしかあなたの領分に入ることはかなわない。
猫のようにカリスマ性や風格をもつことと、偉そうにして周囲の人を押さえつけることとはまったくの別物だ。
猫は侵略こそしないが、徹底的に防御はする。
決して暴君や独裁者になることはないが、自分の居場所は冷静に守っている。
誰だって自分の人生では自分が主人公なのだ。
ゆったりと構えて、
自分の居場所は
どんなささいな干渉からも
守り抜くこと。
自分の人生で主役を演じるには、舞台がないとね。