彼は父親から懐中時計を与えられると、何度も分解しては組み立てるという遊びが好きな子どもだった。尊敬する人物はもちろん発明王エジソンだ。16歳で高校を辞め、家を離れて見習い機械工として就職。安い給料を補うために夜は宝石店でも働いた。1896年にはデトロイトにある憧れのエジソン照明会社の工場でエンジニアとして働き、夜は自宅で自動車の設計に没頭した。道路の主役が馬車だった時代、彼は自らの手で自動車をつくろうとしていた。
彼の名前はヘンリー・フォード。後に自動車王となる人物である。しかし、開発はなかなか進まなかった。最初にできあがった原動機付きの四輪車は大きすぎて納屋から出ず、壁を壊して表に出すという有様だった。ガソリン車の開発もなかなかうまく進まなかった。
彼は不安にさいなまれる中、96年、会社の年次集会の席上でエジソンとついに会った。
フォードはエジソンに自動車への思いを熱く語った。エジソンは途中、何度か質問したが、彼はすべて具体的なスケッチで返した。話を聞き終えたエジソンはフォードの肩をたたいた。
「君、それだよ。やったじゃないか」
その時、フォードは目の前の霧が晴れていくのを感じたという。
「今日私たちが自動車と呼んでいるものの実現を早めた点で、エジソンはもっと功績を認められなければならない」
フォードは後に語っている。紆余曲折の後、彼はフォード・モーター・カンパニーを立ち上げ、軌道に乗せる。そして製造ラインを見直し、生産効率を高めた。フォードが開発した経営手法はフォーディズムと呼ばれる。