希望の党が「玉木の党」になり
議員の「色分け」がはっきりした
希望の党と民進党の統一会派結成を巡る動きに端を発した希望の党の分裂騒動、直接的には民進党との統一会派結成の是非であったが、間接的というか本質的な原因となったのは、政策的に、特に憲法改正と政府の安保法制への態度をめぐる党内の意見対立だった。
統一会派結成が見送りとなったことで、分党グループは一旦は矛を収めたが、政策的態度をめぐる党内対立は消えることはなかった。
これに関し、拙稿『民進と希望の統一会派破談で、野党は「雨降って地固まる」』では『「玉木の党」の足場と体制固めに向けた色分けがはっきりした』と述べたが、その意味するところは、「玉木の党」が目指す方向性と軌を一にすることができる議員とできない議員の“色分け”がはっきりした、ということだ。希望の党の共同代表選の際に玉木候補が掲げた政策や、それ以降の玉木代表の発言からすれば、希望の党が小池色から玉木色に変わっていけばいくほど玉木色に染まることができない議員が出てくることは、容易に推測できることであった。
「玉木の党」が目指す方向性とは、端的に言えば“中道保守政党”としての希望の党である。
それはとりもなおさず、結党当初よりも政策的に“真ん中寄り”かつ“現実的な位置”であり、憲法改正については「否定はしないが抑制的」、政府の安保法制については、これについても「否定はしないがその運用について抑制的」であり、そのための改正や領域警備法等の制定が「必要であると考える」立場である。
安保法制や憲法に関する
党の「立ち位置」
もっとも、結党当初より“真ん中寄り”とは言っても、結党宣言や昨年の衆院選において掲げた政策(公約)で憲法改正や政府の安保法制に前のめりな態度が明記されていたわけではなく、希望の党からの公認をもらうに当たって署名を求められた、いわゆる「踏み絵」にしても同様であった。