高祖の丞相というから首相みたいな立場の陳平は、知謀の人物で真っ先に排除しなければならなかったのだが、呂后の妹が、「陳平は、政治を顧みず、酒と女にうつつをぬかしております」と、呂后に進言した。その言葉通り陳平は、酒と女に耽溺していた。

 そこで呂后は、陳平を呼び出し、「女、子どもの言うことに耳を貸すなと言いますから、気にすることはない」と言う。その心は、そのまま政治等をせず、酒と女にうつつを抜かしていなさい、もはやお前は取るに足らない男に成り下がったというものだ。ところが呂后が亡くなるな否や、陳平は一気に呂氏一族を滅ぼしたのだ。酒色におぼれていたのは、見せかけだったのだ。

 あれ?これじゃあ、女、子どもの言葉に耳を貸していればよかったということになるじゃないか。まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく孔子も「女子と小人とは養い難し」と言っているし(ここで言う女は、婢妾、小人は召使の意味)、犯罪の陰に女ありともいうじゃないか。エリート官僚の言うことを信じるならば、女の言いなりになって株を買うから逮捕されちゃうんだぞ、女の言うことに過度に耳を貸すなということだ。

ホテルに美しい女性が…… 

 とにもかくにもビジネスの現場には誘惑が多い。

 ある先輩行員から、客からホテルに呼び出しを受けたら、部屋に美しい女性がいて「抱いて」、と飛びかかられた経験があると聞いたことがある。融資の申し込みをしていた客が手配した女性だった。そこで「据え膳食わぬは男の恥」とばかりに女性と関係したら、もう相手の言いなりにならざるをえない。泥沼だ。その先輩がどうしたかは、聞き洩らしたが……。

 明治の実業家、渋沢栄一は『論語と算盤』の中で、「正に就き邪に遠ざかるの道」と称して誘惑に負けない方法を説明している。言葉巧みに言い寄られて、自己の主義主張と反対のことをやらざるを得なくなったら、「頭脳を冷静にしてどこまでも自己を忘れぬように注意すること」、「先方の言葉に対し、常識に訴えて自問自答してみること」によって、一時は利益を得られるが、後日に不利益が発生することが見えて来るだろうと言う。要するに常識に照らして、自分の行動を自制、自省することが肝心なのだ。