「最後の審判」における恐怖

 もう一つの理由は、個人救済に関係があります。

 先程の最後の審判の場面を想像してください。

 どんな人間も一度限りの人生を生き、そして死後、最後の審判でアッラーの前に立ち、現世でどのような行いをしてきたのかを問われ、善行、悪行をどれだけ積んできたのかを芥子粒のごとく計算されるのです。ムスリムの誰もが、その場面を百パーセント信じています。というか、そのことに疑問を持ったら、ムスリムではなくなります。

 その中で、最も大事な質問は「なぜ私(アッラー)のことを信じてこなかったのか?」

 その時、もしも私・マイサラの「仲良く」している日本人の「友人」が次のように言ったらどうでしょう。

 “それについては、マイサラが悪いんだ。あれだけ「仲良く」していたのに、あれだけ「友人」だと思っていたのに、ムスリムであるにもかかわらず、イスラームについて教えてくれなかった、勧めてもくれなかった。マイサラが悪いんだ。ヒントさえくれれば、ちょっとだけでも勧めてくれれば信じたのに”と。

 これで私の救済は危うくなるでしょう。

 これこそが、ムスリムが非常に恐れていることなのです。だから、「仲良く」なった宗教に無関心の「友人」にイスラームを勧めるのです。

 私は、長い間日本で生活をしていますが、「仲良く」している「友人」達にイスラームを勧めた覚えはありません。聞かれた場合のみ答えてきました。

 ですが、日本の「友人」達よ、最後の審判の際、“一生のお願い”だからアッラーの前で上記の質問に、「マイサラの所為だ」と言わないでくれ~!!!

(マイサラ・アフィーフィー 翻訳家)