3度の金融支援でバランスシートを大掃除し、生き延びてきた飛島建設。だが、ここ数年は本業でも稼げなくなるという、新たな不振ステージに突入。当面はゼロ成長下での赤字脱却を目指す。

 マグニチュード9.0の巨大地震で、日本人に災害対応の大きな再考を迫った東日本大震災。昨年3月11日のまさにこの日、大赤字転落を受けて、全社員の4分の1に当たる380人の希望退職募集を発表した飛島建設だったが、皮肉にもこれ以降、耐震工法への問い合わせが殺到した。

 4年前に大規模改修を行った仙台市役所は、飛島建設の「トグル制震構法」を採用。そのおかげで、建物の変形は最大で4分の1に低減されたことが、後の調査で判明している。被害が軽微だったため、市民の避難場所として活用されたほどだ。

「防災のトビシマ」。このキャッチフレーズは、付け焼き刃ではなく、2004年頃より、うたい文句にしてきたものだ。しかし、定評のある技術力をもってしても、業績を好転させるのが難しいほど過去10年以上は惨憺たるありさまだった。

 図(1)にあるように、過去10期で、最終黒字を確保できたのはわずか2期のみだった。理由は、バブル期に行った不動産投資の失敗などによって積み重なった不良資産の処理だ。

 幾度となく倒産観測が流れ、1997年、02年、そして03年と、3度にわたって受けた主要金融機関からの金融支援でかろうじて生き延びてきた。

 不良資産の処理が一段落したこの数年、同社の経営はようやく安定すると思いきや、別の問題が浮かび上がる。08年3月期に、上場来初の営業赤字に転落したのだ。

 それまで、巨額の不良資産処理で最終赤字の常連ではあったが、営業利益はコンスタントに稼ぐことができていた。しかしここにきて、本業で儲けられなくなってきたのだ。

 理由は、公共事業の半減や民間建築市場の縮小。プレーヤー数はあまり減っていないため、過当競争によるダンピング合戦や赤字受注が業界で横行した。その結果、売上高は過去10期で3分の1にまで落ち込んでいる。

 11年3月期には、大きな赤字工事の発生により、再び33億円の営業赤字に転落した。自己資本は200億円にも満たないから、同規模の赤字をあと何回か出せば、再び倒産の危機に瀕してしまう。