大雑把に言ってしまえば、地域内に存在する組織票(固定票)の足し算で首長が事実上、決まってしまうからだ。大量に存在する非組織票(浮動票)が棄権票となっていることの裏返しの現象だ。

 組織票というのは、議会内の勢力図により強く反映するものなので、結局、議会内多数派が首長をつくり出し、与党になるという仕組みである。水面下で行なわれる選挙前の候補者選びで、事実上、首長が決まってしまうのである。組織票の足し算が決め手となる。そうした組織票を維持・死守するツールとなるのが、富(税)の配分だ。既得権益というものだ。

 それでも1人を選ぶ首長選の場合、魅力的な人物や知名度のある候補が登場して、番狂わせが起きることがある。非組織票が顕在化したことによる、押し上げ効果だ。そうしたケースでは、議会内で多数を占めていた与党が巨大な野党に変身し、これまでの「二元なれ合い制」が「二元対立制」に一変してしまう。

力勝負ではなく話し合いを重視
議会に緊張感を取り戻した嘉田知事

 こうした二元対立制に陥ってしまった場合、首長はどうするか。議会を徹底的に敵視し、存在そのものを否定してしまったのが、阿久根市の竹原信一前市長だ。議会を開会せず、違法な専決処分を乱発した。攻撃一本槍が対立を深め、憎悪の念を拡大させてしまった。

 議会の構成員を変えようと自ら議会リコールに打って出たのが、名古屋市の河村市長だ。事前に地域政党を結成し、身内で議会の過半数を押さえようと目論んだ。

 大阪の橋下知事(当時)も地域政党を組織し、選挙による議会メンバーのチェンジに挑んだ。2人とも議会を変えなければ、公約は実現できないと実感し、自ら行動に出たというわけだ。議会内に多数派与党をつくり上げる戦術である。

 では、06年に滋賀県知事となった嘉田氏の場合はどうだったのか。嘉田知事も就任後は議会との関係に苦慮することになった。何しろ県議会(47議席)の過半数が対立候補を推した自民党議員(28人)。マニフェストの実現が危ぶまれ、支持者の間に危機感が強まった。

「知事選で示された民意を実現させるには、県議会を変えなければダメだ」という声が上がり、対話の会として翌年(07年)の県議選に候補を擁立することになった。目指したのは、自民党の単独過半数割れである。