“誇大広告”がきっかけで米国でヒットに

 G-SHOCKは当初あくまでも“工事現場などの過酷な現場用の時計”で、ここまでのヒットになるとは「まったく想像すらしていなかった」と伊部は言う。

 発火点は米国だった。84年、米国で放映されたG-SHOCKのテレビCMが問題になった、と伊部の元に連絡が入った。アイスホッケー選手が、パックのようにG-SHOCKをスティックで打ちシュートを決めるというもの。現地の代理店が独断で決めた内容だったが誇大広告だと話題になり、人気テレビ番組でトラックにひかせる実験まで行われるという。

「そんな仕様にはしていない。今度こそは責任を取って辞めなければならない」と伊部は覚悟したが、番組でトラックにひかれてもG-SHOCKは動き続けた。これをきっかけに米国で人気が爆発。特に頑丈な時計を求めていたスケートボーダー向けに売れた。

 日本で火が付いたのは90年代。若者にボーダーファッションが流行したときに米国から“逆輸入”される形で輸入雑貨店での取り扱いが始まったのがきっかけだった。97年には全世界で600万個を出荷するまでに成長した。

 偶然に支えられてヒット商品となったG-SHOCK。だが、その価値を正しく伝える活動をカシオが本格的に始めたのは、ブームが一段落した2008年だった。

 それが、毎年行われているショック・ザ・ワールドと銘打ったイベントで、G-SHOCKの父として伊部が登壇し、開発に込めた思いを話した上で、その国のG-SHOCKファンである著名人のトークショーなどで盛り上げるもの。これまで三十数カ国で開催されたが、伊部は「現地の人に思いを伝えるため」との理由で、数カ月間その地域の言葉を勉強して通訳なしでプレゼンに臨む。

「自分にできることは何もなく、周囲の人とお客さまに助けられてここまできた。いつか宇宙でも使えるG-SHOCKを見てみたいですね」と言う伊部。伝説のエンジニアの素顔は、少年のようないたずらっぽさに満ちていた。(敬称略)

(「週刊ダイヤモンド」編集部 鈴木洋子)

【開発メモ】G-SHOCK DW-5000C
 2017年で累計1億個を出荷した、タフネス時計の元祖。発売初年度は3万個だったが、1997年には600万個を出荷。その後の減速を経て現在は年間850万個を売るメガヒット商品となった。現在でも新モデルは汗による摩耗、落下やハンマー打ちなどの衝撃試験、電圧や遠心力を加えるなど、ありとあらゆる耐久試験をクリアしないと発売には至らない。