私に協力してくれるのは、ギャラリーばかりではない。ギャラリーと二人三脚のアーティストが多い中、私はちょっと変わったケースだ。

 アーティストが私、プロデューサーが高橋紀成さん、そして小山政彦会長や岡野博一社長や「風土」の仲間とチームをつくっているという体制。ざっくり言うと「生産部門一人、営業部門が社内外にたくさん」という感じだ。

 チームがいてくれるから、私は絵だけに専念できる。だから祈りのレベルを上げて、さらに瞑想をし、人との魂の共鳴を増やし、絵を描いていく。

 チームについて考えるとき、私は手島佑郎先生の私塾で学んだことを思い出す。「光あれ」という、ごくシンプルな言葉についてのお話だ。

 ユダヤ教の聖書についての口伝律法『ミシュナ』を見ていくと、「神は『光あれ』の前に10の言葉を言った」と書いてあるという。天と地をつくった神は、いってみれば究極のクリエイターだ。

 その神さまだって一人で世界をつくったわけじゃない。10も言葉を費やしたのは、おそらく、それを是としない神がいたからではないかと私は思う。

 つまり、反対意見も含めて問答するチームがいて、クリエイティブな行為ができたということではないだろうか?それならチームプレーとは、クリエイティブのための普遍の体制とも言える。

 たった一人のクリエイターなんて、どこにもいないんじゃないだろうか?チームがいてこそ、クリエイティブが完成するんじゃないだろうか?

 この学びで、私は抱えきれないほどの恵みをいただいた。

 私は要領が悪い。雨の日に出かけたときに限って、絵の具を大量に買ってしまう。

 私は人づき合いが下手だ。相性の悪い相手と接するとき、緊張しすぎて逆にハイテンションになり、自分らしさをなくしたうえに、相手を引かせてしまう。

 私は愚かだ。調子づいて言わなくていいことを言うし、それが自覚できないことも多い。怒られてやっと知る後手後手ぶりは、学びが足りていないどころか、人としてもかなりまずい。

 だからこそ私にはチームが必要だし、やっていただくばかりではなく、自分にできることでチームに貢献したいと思っている。