わが国が「真の金融立国」になるためには何が必要か

 2010年10月以来、約7年半続いてきた「安東泰志の真・金融立国論」だが、90回目の本稿が最終回となる。

 実際のところ、筆者が東京都顧問として深くかかわってきた「国際金融都市・東京」構想の取りまとめが終わり(連載第86回・87回ほか)、また、自民党政権下におけるコーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードの導入(連載第42回・43回・54回・55回ほか)、公的年金の運用改革(連載第41回ほか)、そして金融機関の社会的責任投融資(連載第74回)に向けた意識がようやく定着しつつあることを考えると、そろそろ連載を一休みしてもいいだろうと感じている。

 長年お付き合いいただいた読者の皆様に御礼を申し上げつつ、この90回の連載でお伝えしてきたことを一度整理しておきたい。

なぜ金融機能の強化が
必要なのか

 2010年の連載第1回で述べたように、筆者は日本経済の成長に必要なことは、日銀による異次元の金融緩和ではなく、「産業金融の改善」であると考える。

「異次元緩和」と称して日銀が市中から巨額の国債を買い入れ、どんなにお金を供給しても、それが企業の純資産の部に影響を与えなければ産業に資金は流れない(連載第31回)。

 専門用語で言えば「マネタリーベースがいくら増えても、マネーストックが増えなければ意味がない」ということだ。もちろん日銀の異次元緩和やマイナス金利政策(連載第66回)、さらにEFT購入などは、円安を実現し、株式市場への資金流入を通して株高を演出する効果はあった。

 しかし、当初目標としていた2%の物価上昇は実現できていないばかりか、賃金がさほど上がらない一方で社会保険料上昇などの負担がのしかかっている国民に、輸入物価の上昇など「悪い物価上昇」の追い討ちを掛けるような形になりつつある(連載第85回)。マイナス金利の導入は金融機関経営の重荷にもなりつつある(連載第66回)。そして、財政規律の緩みは目を覆わんばかりであり、後世に大きなツケを残しつつある。