合理的知性と対人スキルの
両方がトップには必要不可欠

 残念ながら、この手の話は特殊ではない。日本にいたころ、似たような話を山ほど聞いてきた。

 東芝やシャープなど、大きな企業でも問題はすでに起きている。その大元はたいてい、経営陣の力不足だ。実際、2年前に鴻海の傘下に入ったシャープは、めぼしい新製品を出しているわけでもないのに、液晶が中国で爆発的な販売を記録し、V字回復を果たしている。鴻海流経営戦略が功を奏した証拠だ。

 つまり、シャープの経営危機は、技術が問題だったのではなく、経営が問題だったことが分かる。そして、シャープという会社組織が、優れた経営者を生み出せない土壌だったことを、私たち日本人は認めなくてはならない。さらに、これはシャープだけの問題ではない。残念ながら、いくつかの例外を除いて、日本の組織の多くが、良い経営者を輩出できない土壌にある。

 日本のカリスマ経営者は、ほとんどの場合、オーナーや創業者だ。すでにある企業の中で、途中から企業を引きついで、大きな成果を残した経営者は非常に少ない。GEのジャック・ウエルチ、コカ・コーラ社のドナルド・キーオなどの人材はなかなか出てこない。日産自動車のカルロス・ゴーンは、日本人ではない。

 日本人の、オーナーではない、経営のプロとしての経営者が今、日本の組織に求められているのだと筆者は強く感じている。

 そのためには、経営者としての資質(コンピテンシー)を見抜くような人事が必要だ。そこがあいまいだから、コンピテンシーのない人を経営者として昇格させてしまう。そのツケは社員に回り、優秀な人がいなくなってしまう。

 そのコンピテンシーには矛盾する能力が要る。合理的、戦略的な知性が要る一方で、非合理的な感情をマネージできる対人的、感覚的知性も必要だ。筆者はhitolab.jpというコンサルティング会社を2年前から立ち上げ、そういった人材を見極めるための人事支援のプログラムを提供している。もちろん、学問的な知見の裏付けもある。

 日本型経営がもてはやされた1980年代に注目されたのは、終身雇用制や年功序列制など、日本の組織「制度」だった。いま日本の経営は、制度ではなく、経営者のアイディアと才覚に依存するようにシフトしてきていると筆者は考えている。

「俺の会社の経営はこれでいいのか」――自分の今の役職にかかわらず、そう考えることは、これからますます重要になるだろう。