「政治的公平」は一握りの
知的エリートしかわからないものか?

「テレビの規制を緩くしたら、アヤしいマスコミがたくさん誕生して国民が洗脳される!」と騒ぐ人たちは、このあたりの視点がごそっと抜けている。「政治的公平」のジャッジができるのは、永田町、霞が関、そしてテレビ局など大手マスコミの、ほんのひと握りの知的エリートだけであって、読者や視聴者にはできっこない、とハナから決め付けているのだ。

 要は、大衆を「下」に見ているのだ。

 こういう「政治的エリートとマスコミが日本人を良き方向へ導く」みたいな選民思想は、昭和の高度経済成長期くらいまでは当たり前のように存在していたが、もはや明らかに時代錯誤である。

 なんてことを言うと、マスコミのみなさんからお叱りを受けるかもしれないが、みなさんが「時代」を捉えていないということが、「朝日新聞」の3月31日付け社説に如実にあらわれているので、以下に引用させていただく。

「安倍内閣は従来の自民党政権にもまして、4条を口実に放送に介入し圧力をかけてきた。だがその強権姿勢は厳しい批判を浴びた。一方で首相は、バラエティー番組や政治的公平性を求められないネットテレビには進んで出演し、自らを宣伝する。4条撤廃の衣の下からは、メディアを都合良く使える道具にしたいという思惑がのぞく」

 個人的には、お前はとにかくムカつくから息をするな、というのと同じくらい理不尽な言いがかりのような気もするが、問題はそこではなく、「政治的公平性を求められないネットテレビ」というくだりだ。

 こういうもの言いをされると、ピュアな朝日読者は、「うんうん、そうだよな。法律で政治的公平性の縛りがないネットテレビなんてありえないよ」と誘導されるが、世界的に見ると、国がテレビを規制して「政治的公平性」を求めている方が、はるかに「あり得ない」のだ。

 よく言われるように、アメリカでは大昔、テレビ局を管轄する連邦通信委員会が「報道の政治的公平」を求めていたが1987年にこれをスパッと廃止した。

 当たり前だ。白人社会の「公平」と、ヒスパニック系の「公平」はまったく違うし、トランプ支持者とワシントンのエリート層の「公平」は絶対に相容れない。この中で、何が「公平」なのか政府がジャッジを下したら、本気で内戦が起きる。