筆者は、これまで数多くの在日中国人と接してきたが、これほどまでに酒好き、女好き、仕事好きで、エネルギッシュで無頼な男を他に知らない。また、これほどまで日本の裏と表に通じている中国人も、彼をおいて他にいないだろう。

 李はなぜ日本に来て、このような数奇な半生を送ることになったのか。彼はこれまでどんな日本を見てきたのか。そのジェットコースターのような、“常軌を逸した”半生を振り返ってみたい。

“案内人”を名乗り
勝手に路上で客引きをはじめる

 1988年2月26日、私費留学生として来日した李は、日本語学校を経て、東京モード学園に入学。しかし次第に、“東洋一の風俗タウン”新宿歌舞伎町に入り浸るようになる。

歌舞伎町案内人になった在日中国人が歩んだジェットコースター人生自らが新宿で経営する中華レストランで話す李氏 Photo by Naoki Nemoto

「もちろん、当初は他の多くの中国人留学生同様、目的はカネでした。あの頃の中国は、日本円で10万円もあれば、地方都市にマンションを買うことができた。そのくらい経済格差が大きかったんです」と李は言う。

 夢中で働いた。ラブホテルの清掃員にはじまり、オカマのショーパブのボーイ、お見合いパブのティッシュ配りなど、さまざまなアルバイトを経て、90年代初頭、“案内人(ガイド)”として独立を果たす。

「『案内人』と自称していただけで、実際はただの客引き、キャッチですよ。当時は街の掟なんか知らないから、勝手に路上に立って外国人の客を引き、ストリップ劇場や風俗店に案内して、チップを稼ぐようになったの」

 身長178センチメートル、体重58キログラムのすらりとしたモデル体型は、今も昔も変わっていないが、当時はまだ20代後半の“紅顔の美青年”。しかも、拠点にしていた「一番街」で、李は唯一の外国人キャッチである。当然目立つ。すぐに“街の裏方”から目をつけられるようになった。