筆者が北京大学で学んでいた胡錦濤・温家宝政権の時期に比べて、学問や研究の自由と独立性が著しく制限され、教室内での講義や議論は萎縮しているのが現状であると、同大の教師や学生、そして卒業生と話しながら切実に感じている今日この頃である。

 そして、この不安要素は中国・中国人だけの問題にとどまらない。大学は国際交流、知的交流の現場でもある。

“工作員”と化している
中国人研究者も少なくない

 我々日本人を含めた外国人は、大学関係者を中心に大学という本来開かれた空間を通じて中国を理解し、中国人と交流をし、相互理解・信頼を構築しようとする。

 中国と日本や米国を含めた多くの国家の政治体制や価値体系は異なるけれども、大学という自由と独立性が保証されるべき空間での議論や交流は可能な限り開放的、民主的、多様的に実施するべきであるという風潮は筆者が在学していた頃は多かれ少なかれ、教師・学生間で個人差はあるが存在していた。尊重もされていた。

 ただ今となって、筆者も感じていることであるし、日米をはじめとした各国の研究者や学生からも頻繁に聞くことであるが、“知的交流の場”で中国人研究者の口から出てくる主張が共産党のプロパガンダに終始することはもはや“日常茶飯事”になっている。

 国際関係の分野でいえば、自国の対外戦略や外交政策を弁護、正当化し、あわよくば外国人研究者に寝返り工作をかけ、党と国家の国家・世界戦略を推し進めるために必要となる“支持者”を国際的に増やすことを任務に据えた“工作員”と化している中国人研究者も少なくないようである。

 中国社会の「健全な発展」を推し進めるという意味だけでなく、中国と国際社会の間の「健全な関係」を構築するという次元においても、このような現状は不安要素であり、お先は「楽観視できない」といえよう。

(国際コラムニスト 加藤嘉一)