アスタさんたちの率いたデモは、アイスランド史上最大の規模となった。
気仙沼をはじめ、被災地でも行政により市民会議が次々と組織され、復興に向けて提案を募る試みが始まっている。ただ、そこで市民に求められるのは、復興の象徴となる「アイデア」だけだ。菅原茂・気仙沼市長がテレビ番組のインタビューで答えたように、行政は市民のアイデアの「いいところ取り」を期待する一方、市民からのボトムアップで地域の未来を創っていくことに懐疑的である。
しかし、主力の漁業・水産業の斜陽化で疲弊し、震災に追い打ちをかけられた被災地の復興を、これまでも衰退を止められなかった従来の政治・経済システムに任せられるのか。アイスランドの例と同じく、根深い問題は政治・経済のシステムそのものにあることがほとんどだ。その解決を、システムの中に生きる人間には託せまい。
元に戻すだけでは、地域の明るい未来は開けてこない。市民自身が、地域の持つ魅力と可能性を自覚し、新たな被災地の未来像を自ら描き、それを実現できる社会システムに変革する覚悟が必要だろう。これまで以上に、主体的で自律的な姿勢が求められる。
アイスランドのデモはやがて大きなうねりとなり、2009年には独立党のゲイル・ホルデ首相が退陣した。4月には、18年間与党を務めた独立党はそのポストを追われた。新たに与党となったのは社会民主同盟とグリーンレフトの連立政権だが、彼らもまた、市民が反対している海外預金者への資金返済を決議し、反発が高まった。「左も右も同じだ、私たちは議会に失望した」――彼らが3年以上たった今日まで、デモを続ける理由はここにある。
市民デモの矛先は当初、金融の自由化を推し進め、そのリスクに何の警笛も示さなかった首相と議会に向いたが、彼らに対する諦観とともに、より本質的な変革の要求に移っていった。前述のアスタさんは言う。「特定の個人にも政党にも怒りはない。イタリア、ギリシャ、スペイン、アイルランド。どこも同じ。左も右もなく、どの政党も市民に応えられない。怒っているとすれば、それは金融システムで私腹を肥やした人の暴威を止められなかった法制度だ」。2009年には市民たちが自発的に組織を作り、法律、特に憲法改正が検討されるようになった。国も対応すべく、せめぎ合いは続いているが、小さくても確実に社会は変わり始めている。