アイスランド再生への知恵(1) <br />困窮するシングルマザーが市民運動を起こした訳<br />予想に反してとても物腰の柔らかいアスタさん。しかし、まっすぐこちらの目を見る様子には、何度もジャーナリストに対峙して来た余裕が感じられた。(沼田逸平撮影)

 アスタさんに今までの人生を振返ってもらうと、一言「Moved a lot(転々としたわ)」と返って来た。デンマークやドイツなど、海外に16年。その間に生まれた子供たちはみな、アイスランド語、デンマーク語、ドイツ語をあやつるトリリンガルだ。

 アイスランドは実に小さな国だ。景気が悪くなれば、それはすぐに人々の就業へと影響する。アスタさんが10代の頃から海外に出たのも、家庭の経済的な事情だ。曰く、1987年当時、アイスランドのインフレ率は60%にものぼった。彼女の母親は、持ち家を売ってかろうじて資金を作り、勤め先を求めてデンマークへ移り住んだ。

 アスタさんが、家族とともにアイスランドに戻って来たのは2006年である。戻ってすぐ、彼女は旅行会社でマーケティングの職についた。築80年のボロ家を買い、少しずつ手を入れながら、つつましく暮らしていた。

 落ち着いた矢先に、金融危機は起こった。景気が悪くなり、勤務先は倒産。彼女は職を失った。今抱えている1200万クローナもの借金は、家を購入した際のローンが、危機後の消費者物価指数に連動して膨らんだものだ。母親と似た運命を辿るとは皮肉だが、偶然とは言えない。それは、アイスランドが度重なる経済危機に見舞われながら、立ち上がってきた証左でもあろう。

 失業中の彼女は今、修士課程に身を置き、ビジネスを専攻している。何故か。もちろん勉学のためでもあるが、最大の理由は大学院で受け取れる奨学金である。5人の子供を養う彼女に、行政が支払う失業手当は16万クローネ。とても生活していけないし、当然ローンの返済はできない。奨学金ならば、この失業手当よりはるかに多くの現金を手に入れることができるという。とはいえ、奨学金はあくまで返済が前提だ。問題を先送りしているに過ぎないことは、彼女も十分に理解している。