従来システムへの懐疑という点では、一部を切り取り先鋭的な情報を流すマスメディアへの信頼も、急速に低下している。他の人はどうやって今の事態に対処しているのか、これからも借金を払うのか、それとも踏み倒す覚悟を決めるのか――そうした切実な問題に対処するための情報源は、個人的なネットワークへとシフトした。

 特にフェイスブックの威力は絶大で、アスタさんもこれを通じて世界中の様々な人たちと繋がり、情報を共有した。このため、世界の金融危機とそれぞれの国の対処法法について、彼女の知識は実に豊富だ。西はアルゼンチンから東はインドネシアまで。それぞれの国が経済破綻を起こした際どういう道を辿ったか、またIMFの支援を受けた国とそうでない国、どちらが復活を果たしているか。話は具体的で分かりやすい。

 4ヵ国語を操り、ヨーロッパ生活も長かったアスタさんにとって、アイスランドを出て行くことは簡単だ。アイスランド・クローナの下落を考えれば、 国外で就労をしたほうが彼女自身の経済状態は回復する。しかし、フェイスブックを使うことで、彼女は気がついた。「イタリア、スペイン、ギリシャ。アルゼンチンもメキシコもそう。どこへ行っても一緒なのよ」。ウォール街から始まった「99%の市民のための抗議運動」への共感・問題意識は、アスタさんと同じような境遇にあり世界中で困っている女性たちを通して芽吹いていった。

従来の政治・経済システムに頼らない覚悟

首都レイキャビク市内に設置された、草の根運動の集会場。集会場設置時には大統領も訪れた

 アスタさんは、アイスランドを離れず、立ち上がることを決めた。金融危機の後、女性2名と共に市民団体「Tunnurnar(樽の意。魚を入れるためのドラム缶のようなもの)」を組織。組織の名前は、彼女たちが魚を入れる“樽”を叩いて議会の注意を引いたことに由来している。

 1990年に民営化された銀行は、国家予算の数十倍という負債を抱えたまま、再び国有化された。自分たちのみならず、次世代まで大きな負担となって生活を圧迫する事態を受け入れてよいのか。