東日本を襲った大震災から7か月。多くの避難所は閉鎖され、被災地には仮設住宅が立ち並ぶ。一方東京では、震災などなかったかのような空気が流れ、今も福島を蝕む放射能すら、忘れられてしまったかのようだ。
  だがまさにいま東北では、「新しい未来」をつくろうと動き始めた起業家たちが生まれている。被災地で出会った彼らの情熱と創造力に惹かれた僕は、『辺境から世界を変える』を上梓した後、復興に向けてともに動くようになる。
  本連載では、彼らの足跡を追い、その構想を見ていく。岐路に立つ日本でいち早く「変わっていくこと」を突きつけられた被災地から、「非・被災地」にいる我々はいったい何を学べるのだろうか。

「復興」の主語は誰か?

 東北で支援活動をする人たちの間で漏れ聞く言葉がある。

「被災者は被災者のままでいいのか?」

 震災後、初めて仙台を訪れたとき、そこで聞こえてきたのは「行政がなんとかしてほしい」という声だった。バスで乗客の声に耳をすましても、タクシーの運転手と言葉をかわしても、当事者意識のある言葉は聞こえてこなかった。
そして、もう一方の当事者――福島原発の電気に依存していた首都圏――も迷走を続けている。つい先日も、未曾有の震災に対して「復興増税への反対(注1)」という意志を表示した。

 さらに、「復興」を考えるうえでの前提として重要なのは、震災前から東北は衰退の一途をたどっていた、ということだ。東北の経済は10年以上、縮小を続けてきた(注2)。さらに、高齢化やコミュニティの崩壊という問題に直面していたのだ。そこで、復興、すなわち「もとに戻す」という発想は果たして有効なのだろうか?

 僕が仙台に居を移して、はや3か月が経つが、被災地に漂う空気を吸うと、「復興とは何か?」「誰が復興の担い手になるのか?」という素朴な疑問ですら、答えを見いだすことは難しい。被災地は被災地のままじゃないのか、財源を使い果たした行政に依存を続けてしまうのではないのか、支援したところで意味のあるイノベーションが生まれるのか、「核」となる起業家は本当にいるのか――。

 だがそんな迷いは、いまではほとんど感じていない。瓦礫だらけの東北から「未来へのビジョン」を示すことのできる起業家たちに出会ったからだ。

津波がすべてを流し去ってしまった石巻市。

(注1)日本経済新聞 世論調査 2011/10/2 日本経済新聞 電子版
http://www.nikkei.com/news/research/related-article/g=96958A9C93819481E2E0E2E3888DE2E0E3E2E0E2E3E38297EAE2E2E2

(注2)平成21年度 工業統計速報 平成23年 東北経済産業局
http://www.tohoku.meti.go.jp/cyosa/tokei/ind_sens/pdf/h21.pdf