「健康優良児表彰」も
優生学の一環だった

 なんてことを言うと、「いや、それは軍部の命令で仕方なかったんだ」とか、「確かに戦時中、マスコミは優生学を触れ回っていたが、敗戦で反省してガラっと変わったんだ!」みたいなことを言い出す人がいるが、残念ながらそれは「そうであってほしい」という願望というか、「妄想」に過ぎない。

 吉田茂、佐藤栄作などの面々を見ればわかるように、戦後復興は、ほぼ例外なく戦前のリーダーたちによって進められた。それはマスコミも然りで、一部の幹部はしばらく公職追放されたりしたものの、戦後の報道スタンスを定めたのは、戦前から報道に携わっていた新聞人たちである。

 敗戦、そしてGHQの占領政策という日本人の価値観に影響を与える大きな出来事はあったが、たかだが数年で人間の本質は変わらない。戦前のマスコミが張り切っていた「優生学が日本を救うキャンペーン」も1945年でパタリと終わるわけはなく、戦後も外見だけはリノベーションして続けられた。そのおかげで、優生学の残り香のようなものが、つい現代にまで脈々と受け継がれてしまったのである。

 象徴的なのが、朝日新聞社が主催、文部省が後援して1978年まで行われていた「健康優良児表彰」。年配の方は覚えておられるだろうが、全国の小学校で、肉体的、運動能力的に優れた子どもを男女1人ずつ選んで表彰をしたキャンペーンだ。

 拙著『「愛国」という名の亡国論 日本人スゴイ!が日本をダメにする』(さくら社)の中で詳しく述べているが、実はこの「健康優良児表彰」というのは「優生学」と非常に密接に関係している。

「健康優良児表彰」がスタートしたのは1930年。その年、「東京朝日新聞社」から世に出た「全日本より選ばれたる健康児三百名」(朝日新聞社編)の中で、当時の副社長だった下村宏氏が、「朝日新聞」を代表してこの表彰を続けていくと宣言して、こんなことをおっしゃっている。

「本日この盛大なる式場に於て表彰された健康児は、本人も家庭もお芽出度い喜ばしい事であります。しかし一面に重い責任を負はされて全国の幼年者の中から選り出されたのであります」(p313)