ただし、それも「ハリル監督ならそこまで計算しているに違いない」と確信していればこそである。そうでなければ、本選に挑むためのチームとしての盛り上がりはなく、チームの地力が上がっていく感じがまったく見えなかったのも確かだ。

 いろいろな選手たちがチームとしての成熟度の低さや戦術面の不安を唱えたのは、選手の立場として正しい意見表明だろう。通常は、チームに確たる基本形というものがあり、それを相手に合わせて調整して試合に臨む。その基本形がなく、本選の3試合が全部違うチーム構成だとすれば、選手にとって、自分たちは試合ごとに組み替えられる代替可能な単なる「コマ」であり、拠り所がないと思うのも当然である。

 組織の厚み、一体感、選手の連帯感、安定感、地力、チームビルディング、チームの成熟などの観点では、疑問符だらけであり、周囲が不安に思う気持ちも理解できる。ひとたび「ハリルさん、本当はたいしたことないのでは?」と思ってしまうと、すべてが悪い材料に見えてくるのだ。

 おそらくハリル氏は、協会は自分のことを「すべて計算し尽くせるレベルの高い監督」と認識してくれていると思っていたのだろう。ところが実際には「本当はたいしたことがない(可能性が高い)監督」と認識されていたということだ。前線の将軍の巧妙な計画の意図がわからない官僚や君主が、将軍の邪魔をしたり解任したりするというのは、春秋戦国や三国時代、ペルシャやローマ、日本の戦国時代、近現代の戦争まで古今東西の戦争の歴史の中でしょっちゅう起こる事態である。

選手をCM起用したいスポンサーには、
不都合だらけだったハリル氏の戦術

「監督の評価基準」の(2)は、日本代表をめぐる立場は試合に勝つか負けるかだけではなく、「代表のビジネスを含んだ価値」を考えていくことであり、すなわち強化以外のセクションや利害関係者のことを視野に入れなければならないということである。それを考えると確かに、ハリル氏が監督をし続ける状況はつらいものがある。

 なんといっても、スポンサーである企業がCMに選手を出せない。本番まで誰が日本代表に選ばれるか分からないため、CMに起用できないからだ。

 絶対に出場確実だと思われる有名選手は長谷部、長友くらいだろうか。しかし、やはりゴールを決めてくれる選手をCMに出したいと多くの企業は思う。先ほど述べたような対戦チームごとに選手が変わる構成では、サッカー通は楽しめるかもしれないが、一般の人にとっては面白い試合とはいえないだろう。応援をしようにも、チームに連続性がないので、熱を入れにくい。このように、代表選手を全面的に出して、プロモーションを張れないので、露出は下がり、サッカー日本代表チームの商品価値は下がる一方だ。

 その上、このまま本番を迎え、結局策が奏功せず、無残に負けたとなれば、日本代表としての商業的な価値は壊滅的な打撃を受ける。名のある選手が試合に出て、見せ場をつくって、期待感を持たせてくれればこそ、と考えるのは、スポンサーとしては当然の心理だろうし、それに携わる部署の利害関係者としてはハリル解任を主張するのは当然ともいえる。