組織と個人が暴走するとき

 端的に言って、組織の利益と個人の利益が合致した時、組織と個人の暴走は止まらない危険がある。

 不正融資に手を染めたスルガ銀行の個々の行員は、おそらく自分のためというよりは、銀行のためなのだという建前を言い訳にして、データ改竄や不当な信用審査の見過ごしなどを行ったのだろう。そう推測するのは、普通の銀行員が自分の責任で、返済能力の怪しい貸し先に融資したいなどと思うはずがないからだ。

 所属する「組」のためだと思う反社会的勢力の構成員が、組長の命令に従って犯罪を犯したり、もっと一般的なケースでは、兵士が国益や上官の命令に名を借りて平気で殺人を犯したりするのと、構造は似ている。

 また、これらの場合、組員も兵隊も銀行員も、自分個人の人事評価的利害のためには悪事に関わる方が得だという事情が共通だ。

 ここでは、組織だけが悪いわけでも、個人だけが悪いわけでもない。両方悪いし、加えて組織の目的・構造・マネジメントのいくつかが悪いのだ。

 もともと、金融マン個人の利益と、金融会社の利益に完全な一致はない。

 金融マン個人は、所属する金融会社の顧客にリスクを取らせて手数料を稼いだり、金融会社の株主資本や信用をいわば「見せ金」としてビジネスに使って、手数料や成功報酬(=儲けたときのボーナスや人事処遇)を得るのが、実質的な「ビジネスモデル」なのだ。

 このビジネスモデルは強力であり、顧客ばかりが「カモ」なのではない。時には、資本主義の頂点にいるかのごとき金融機関の株主までが、リスクや成功報酬手数料を差し出すカモなのだ。さすがのカール・マルクスも、金融資本がチープな金融紳士たちに搾取されるとは想像しなかっただろう。現代の資本主義は、資本家さえもがカモになるところまで進化したのだ。