算数・数学の本がぎっしり詰まった教室の本棚。算数・数学を教える同志でもある入江さん(左)と望月さん(右)
灘高、東大理III、心臓外科医とエリート街道を歩いてきた入江さんは、なぜ数学塾を始めることにしたのか。そこには、長い人生を見据えた生き方と学び方への強い思いがあった。(ダイヤモンド社教育情報、森上教育研究所)
入江翔一(いりえ・しょういち)

数学専門塾「数楽道場」代表。現役医師。1988年大阪生まれ。灘高等学校、東京大学医学部医学科卒。医師として勤務しながら、2021年東京大学理学部数学科卒。25年から札幌市に移住、26年3月に開校予定。
望月俊昭(もちづき・としあき)

望月算数・数学教室主宰。1948年北海道生まれ。二十数年にわたり大手塾で中高受験生のための算数・数学を指導したのち、難関中学受験のための少人数制の算数教室を主宰、入学後の中学数学の指導も行っている。著書に、『中学受験 超難関校合格! 頭のいい子にも勝てる 算数まとめノート』(ダイヤモンド社)、『算数プラスワン問題集』『高校入試ハンドブック』シリーズ(いずれも東京出版)など。1987年から月刊誌『高校への数学』(東京出版)に、88年からは『中学への算数』(同)で連載を執筆している。
30歳で数学科に学士入学した理由
――今日は、算数・数学教室を主宰されている望月俊昭さんと、医師を続けながら数学塾を開こうとされている入江翔一さんにお話を伺います。おふたりが知り合ったきっかけは?
[聞き手]森上展安・森上教育研究所代表
望月 駒場東邦に入った教え子が、私の推薦した数学の参考書に取り組んでいるのを彼の家庭教師をしていた入江さんが見つけて、中学に入ったばかりの子に大学受験コーナーにあるようなこんな本を推薦する先生がいるのか、となったようです。
――その本は何でしたか。
入江 栗田哲也先生が書いた『マスター・オブ・整数』『マスター・オブ・場合の数』(いずれも東京出版)です。高校の受験勉強で愛読していた月刊『高校への数学』の望月先生の連載のファンでしたので、驚いたわけです。その子のお母さんの仲介で望月先生にお会いしました。
望月 全くの偶然で知り合いました。東大理IIIなのに、謙虚な好青年(笑)。私の教室では中2までしか教えていませんが、入江さんに教室に来てもらい、東大理IIIに向けた勉強法を教室生たちに話してもらう機会がありました。その中にいた女子が、その後も入江さんにさまざまなアドバイスを受け、理IIIに合格しています。
また、私の教え子の一人がイギリスの高校に留学してオックスフォード大学を受けるため勉強していたのですが、なんとその彼の家庭教師も入江さんでした。私が整数論、組み合わせ論、初等幾何など、入江さんが数論や積分などと、分野を分担して指導しました。
彼は、最終段階の「インタビュー」まで進みましたが、その前の段階の数学の試験が大学の代行業者のシステムエラーで中断、数学の勉強の成果を生かす機会を奪われたまま最終段階に臨むという日本では考えられない出来事で合格とはなりませんでした。失意のまま進んだユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で、現在出場予定の大学対抗の数学大会に向けて、数学の猛勉強をしています。入江さんとは、不思議な縁があるということになります。
――入江さんは医師と伺いました。
入江 初期研修を終えてから、埼玉や東京の病院で働いていました。心臓外科医としての生活は非常に充実していましたが、一方で家庭も含めてあらゆるものを犠牲にせざるを得ない状況でした。このまま心臓外科に自分の時間を全振りする生活を一生続けていくのか?と考えたときに、自分は「何か違う」と感じていました。
実は高校生の頃、医者の道を志したときに数学者の道も考えて悩んでいた時期があります。受験数学は箱庭みたいに整備された世界ですが、一度本物の数学を学んでみたいという意思はずっと持っていました。ただ、数学オリンピックでメダルを取るような人たちのすごさを目の当たりにして、数学者への道は諦めました。今振り返れば、人と比較する必要なんてなかったと思います。
ある大晦日の当直中、嵐のような忙しさの後、気がつけば新年にちなんだ数学の問題を作って、一人ICU(集中治療室)でテンションが上がっていました(笑)。その時にふとわれに返り、「人生は一度きりだから、自分のやりたいことをやって後悔する方がマシだ」と思い、数学を学び直す決意をしました。当時30歳でしたが、4月から理学部数学科の3年生に編入学しました。







