「汁 からしあへ かうの物 さしみ つけ物 やく むしても色々 かわともにやきてつかひ候也」
これは、江戸時代初期にあたる寛永20年(1643年)に刊行された、我が国初の料理専門書『料理物語』目録の「第七 青物之部」に掲載されている、「竹子(たけのこ)」の調理法です。
醤油がまだ一般的に流通していない時代であったため、現在の筍料理の主流である「煮物」の表記はありませんが、辛子和え、刺身、香の物、漬物、蒸し物など、今ではあまり見かけない料理が並びます。
注目すべきは、この本が書かれた当時は、長い戦乱の世が終わり、庶民がやっと食べることを楽しめるようになった頃だということです。
その時代にこれだけの調理法が並ぶということは、筍という食材が、人々にどれだけ愛されていたかが分かります。
他と比べても、筍の調理法の数を超える青物(野菜)は見当たりません。
【材料】生筍…1本 ※掘って1時間以内ならそのまま、それ以上なら茹でてアク抜きしたものを使う/醤油 …適量/山葵…適量
【作り方】①筍の皮を剥いて穂先を切り落とし、縦に薄切りにする。②器に盛り、山葵と醤油を添える。
また筍は、日本の古典文学史上、最初に登場する野菜でもあります。
和銅5年(712年)、太安万侶《おおのやすまろ》から元明天皇に献上された、日本最古の歴史書である『古事記』に、このような物語がつづられています。
日本国を造った男神・イザナギノミコトは、亡き妻である女神・イザナミノミコトのことがあきらめきれず、意を決して黄泉の国を訪れます。
そこで生前そのままの美しい妻に会い、一緒に現世に帰ろうと懇願します。
妻は、自分は黄泉の国の食べ物を口にしてしまったので、本当は帰れないのだけれど、黄泉の神に相談してくるから、戻ってくるまで決して部屋の中には入らないようにと言い置いて奥に入ってゆきます。
けれど、待てど暮らせど妻は戻らず、しびれを切らしたイザナギが中に入ると、そこには妻の腐乱した死体が転がっていました。
イザナギは、ショックのあまり現世に逃げ帰ろうとします。