ドラマや映画などで家の前を掃除している人は、たいていニコニコしていて、「おはようございます」と元気に挨拶している。何気ない日常の描写だ。

 実社会ではどうだろう。掃除している人はそんなにニコニコしていない。淡々とこなしているという印象だ。

 仕事を楽しめ。誰でも一度は聞いたことがあるはずだ。しかし、実際楽しんでいる人がどれだけいるのだろう。

 美人は仕事の楽しみを知っている。家事にせよ、会社の仕事にせよ、実際楽しみにあふれたものはそんなに多くない。だが、楽しみが皆無であるものもほとんどないのだ。問題はその楽しみを自分で見つけたり、つくったりする気持だろう。皆が嫌がることに楽しさを探すこと自体結構楽しいものである。

 すると仕事への「愛情」が生まれてくる。誇りと喜びが生まれてくる。いろんな発見がある。それがまた楽しい。その瞬間こそ、人の表情を美しくする。そして「美人のもと」が増えていく。仕事に愛情を持っていると「言われていない」ことを言われる前にやるようになる。そこにまた楽しさを見つける。

「言われていない」「聞いていない」と怒りながら働く人がいる。仕事に愛情がない人だ。そういう人の動機は「アメとムチ」という外発的なものに支配される。怒られないように動く。褒められるように動く。

 アメとムチで動く人はいつでも「褒めて、褒めて」という顔をする。時々「こんなことをやっても誰も褒めてくれない」と文句を言う。そんなことに動機があるからだ。

「褒めて、褒めて」の顔。それは調教される動物に似ていて、ご褒美の餌を待つようだ。芸をやって、餌をもらう動物。イルカショーのイルカはかわいいけれど、芸の後に餌を待っている姿は悲しい。ボールを追いかけて咥えて戻ってくる犬は頼もしいけれど、ご褒美を待つ姿はよだれが出ていて残念。

 口が意味なく開いている。自分がやったことを自慢しながら口が開く。仕事しながら褒められることを想像してすでに口が開く。その開いた口から「美人のもと」が逃げていくのだ。

「頑張っています」とアピールする「褒めて、褒めて」の態度をやめてみよう。言われなくても人は見ている。何より自分が自分を見ているのだ。美しい自分を見るのだ。