謝鳴さんがママを務めた伝説のクラブ「浪漫亭」は四半世紀に渡って盛況を続けた

上海出身の有名歌手だった謝鳴は、すべてをかなぐり捨てて、一介の留学生として来日を果たす。しかし、日本での生活は過酷そのもので、必然的に歌舞伎町にたどり着く。DOL特集「隣の中国人」第5回は、前回に引き続き、謝鳴の半生を追う。(ライター 根本直樹)

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「留学生10万人計画」で
押し寄せた「新華僑」たち

 1983年、当時の中曽根康弘首相が「留学生10万人計画」をぶち上げると、その数年後には中国大陸から大量の留学生が押し寄せるようになった。しかし、この施策は後に、日本の労働市場における人手不足を解消するための「巧妙な移民政策だった」と捉える専門家もいる。

 実際、このときに来日した中国人留学生の一群は、その後、「新華僑」として台湾系を含めた日本華人社会のなかで勢力を拡大。彼らは今や70万人近くに上る大陸系在日中国人社会の始祖であり、核となってきたのである。

 当時の中国人留学生の大半は、大金を払って「留学ビザ」という名の「労働ビザ」を手にし、学業よりもカネを稼ぐ目的で来日した。あの頃から日本に住み続ける在日中国人の多くも、「留学は体裁、実態は出稼ぎだった」と語ってはばからない。