中国での有名歌手も名声を捨て、歌舞伎町のママに転身した謝鳴さん中国での有名歌手の名声を捨て、歌舞伎町のママに転身した謝鳴さん

3年前に惜しまれつつ閉店した、伝説の中国クラブがある。新宿歌舞伎町の『浪漫亭』。バブル時代から2000年代にかけて一世を風靡した中国クラブだ。その店のママが上海出身の謝鳴。80年代の中国で歌手デビューし、100万枚のアルバムセールスを記録した有名歌手だったが、1988年、中国での実績も名声もすべて捨てて来日。その後、歌舞伎町でクラブを経営しつつ日本でも歌手デビューを果たす。DOL特集「隣の中国人」第4回は、そんな“歌舞伎町の歌姫”の成功と失意の物語を2週連続でお伝えしよう。

“中国人移民”が大挙して
押し寄せたバブル時代

 現在、在日中国人・華人(日本国籍を取得した中国系住民)の数は92万人を突破し、不法滞在者を含めると100万人以上にのぼると見られている。仙台市の人口とほぼ同程度の数の中国人がすでに日本に根づき、一大勢力を築きつつあるのだ。日本はいまだ「移民」を認めていないが、彼らはすでに事実上の「移民」と言っていいだろう。

 そんな大陸からの「移民」が最初に大挙して押し寄せてきたのが、中国で「64天安門事件」が起きた1989年前後のことである。この歴史的事件の影響というよりも、1983年、当時の中曽根康弘首相が表明した「留学生10万人計画」の影響が大きい。