最初の事務的な質問に始まり、延々とBGMが流れるコールセンター、不慣れなパソコンを使わなければ申請できないシステム、たらい回しされる事務的な対応、冷ややかな窓口の職員の態度、実際は働けないのに求職している後ろめたさとハリーの罵声…、全てがダニエルを疲弊させ、人としての尊厳を失わせていたのです。

 その後、ダニエルは役所の外壁に「わたしは、 ダニエル・ブレイク。飢える前に申立日を決めろ。電話のクソなBGMも変えろ」とスプレーで落書きし、警察に身柄を拘束されたり、大工道具を除く家具を全て売ったりして、自暴自棄になります。『めし』のけい子と同様、収入源を失ったことで、ダニエルも「ヤケ」になったのです。

 ダニエルが結局どうなったのか、詳細はDVDでご覧いただくとして、映画はいくつかの示唆を含んでいると思います。

 1つは「民営化の是非」です。イギリスではサッチャー政権期に公的サービスの民営化が進み、併せて福祉サービスも削減されました。そして、ダニエルが冷たい対応に遭ったのは、全て民間委託会社という設定になっており、民営化が失敗だったというメッセージになっています。実際、ダニエルが警察に連行される場面では通りがかった男性が警官に対し、「お前らも失業するぞ。保守党の得意な民営化でな」とヤジる場面があります。

 しかし、たらい回しといえば、役所の方が得意技です。黒澤明が1952年に製作した名作『生きる』では、市役所の小役人たちが主婦の陳情を次々とたらい回しにする場面があります。「民だから悪、官だから善」という単純な議論は成り立ちません。

 2つ目は、「社会保障給付を削る政策の反動」です。例えば、たらい回しは受給者のやる気をそぐことで給付を節約しようという姿勢にしか見えませんし、ダニエルと知り合った2人の子ども連れの女性が貧困に苦しみ、スーパーで万引したり、ボランティアの「フードバンク」で空腹に耐えきれずに倉庫の食べ物に手を出したりする場面があります。

 イギリスや日本に限らず、どこの国も社会保障費が財政を圧迫しており、納税者(財源を国の借金で賄っている場合は将来世代)の負担を減らすため、社会保障制度の削減を進めているわけですが、その反動が映画で描写されており、そのバランスを取るのがいかに難しいか痛感します。

 そして3つ目は、今回のテーマである「雇用」です。映画でダニエルは役所から執拗 に求職活動を求められます。まさに雇用と福祉を接続させるワークフェアが描かれているのです。

 しかし、ダニエルの場合、医師の判断で働けないと診断されているわけですから、医療、雇用、福祉の間で、情報の断絶が起きていたことになります。言い換えると、医療・福祉・雇用などの関係機関が連携しなければ、たらい回しの危険性が高まることになります。