病床の削減、医師不足、医療費の高騰など、医療や医療費に関する報道が後を絶たない。そうしたなかで、かつて財政破綻後の夕張に医師として赴任していた森田医師が、夕張および全国のデータ、さらに医療経済学的知見から見えてきたのは、医療経済の拡大が必ずしも健康と比例しない現実であった。最近、『医療経済の嘘』(ポプラ社)も上梓した森田医師が提唱する医療と経済のあるべき関係とは。第2回では、鹿児島県のある地域のケースを取り上げます。

人口10人・高齢化率100%の集落から見た<br />新しい医療のあり方

人口10人・高齢化率100%の集落
「死ぬまでここにいたい」と笑顔の理由

先日、NHK鹿児島のニュースで、「人口10人・高齢化率100%の集落」の特集がありました。

「人口10人・高齢化率100%」、しかも「最寄りの病院まで車で1時間」なんて聞くと、

「まあ心配! 何かあったらどうするの?」
「みんなで都会に出てくれば安心なのに」
「さぞかし大変でしょうね~」

など、どちらかと言うと「なんとかしなきゃ!」という方向で考えられる方が多いかもしれません。

でも番組に出てくるお爺ちゃん・お婆ちゃんはみんな笑顔で、「死ぬまでここにいたい」と言っていました。「大変!」とか「なんとかしなきゃ!」とは、あまり思っていなさそうです。

実は僕も先日、こちらの大浦に行ってきました。そこで偶然お会いしたAさん(大浦で一人暮らしの80代女性)は、笑顔でこう話してくれました。

「子どもたちはみんな本州とかの都会に出たよ。みんな遠くで心配している。私も80すぎの婆ちゃんになって、腰が曲がって畑に行くのも大変だしね〜。それでもやっぱりよそには行きたくない、最期までここにいたいよ」

話がはずんで、最後は缶ジュースまでいただきました。

高齢化率100%の集落に住む住民の「幸福」とは

Aさんの話を聞きながら、私は思いました。

「そもそも、大浦のお爺ちゃん・お婆ちゃんの幸福とは何なのだろうか」

番組中では地域のお婆ちゃんたちが、

「どこに行っても大浦のようないいところはないよ。人間の気心もわかっているし」

と言っていましたが、この「大浦はいいところ」という言葉には、私は2つの意味があると思います。

(1)環境要因
まず一つは、「環境」という意味での「いいところ」。

大浦は自然が豊かなところです。山や畑に囲まれての晴耕雨読の生活は、都会人の憧れでしょう、ただ、それは同時に自然の厳しさにもさらされるという意味でもあります。

番組中では、住民10人中最年少のSさん(それでも73歳!)が、台風で倒れた神社の大木を見ながら、「若い人がいないから片付けられない……」と、そんな悲しい現実も放送されていました。

若者はいない、街からは遠い、コンビニもない、最寄りの病院まで車で1時間。しかも車を運転できるのは10人中1人だけ……。環境要因だけで判断するのなら、とても「大浦のようないいところはない」とは言えない状況です。

では、なぜ大浦のお爺ちゃん・お婆ちゃんたちは、それでも「大浦のようないいところはない」と口をそろえて言うのでしょう。

(2)地域の絆
「人間の気心もわかっているし」

この言葉にその秘密があるように思います。

どんな世界的な偉業でも、それがずっと孤独な作業で、身近な誰からも喜ばれないなら、その仕事による幸福感はあまり感じられないかもしれません。

逆に、たとえそれが「ありふれた仕事」だとしても、信頼できる仲間と一緒に汗をかいて笑い合えるような仕事であれば、それは大いに幸福感を持てるでしょう。

そう考えると、人が幸福を感じる瞬間って、実は良好な人間関係の中で、人と人との心の交流の中で発生するのかもしれません。事実、最近では多くの医学的・社会学的研究で「人間の健康や寿命にとって最も大事なのは、『家族や身近な人々との良好な人間関係だ』」ということが示唆されてきています。

となると、大浦のお爺ちゃん・お婆ちゃんにとって、「大浦集落での昔からの顔なじみのつながり=『地域の絆』」は、我々が思っている以上にとてつもなく価値のあるものなのかもしれません。これは、長い時間をかけてコツコツと貯めた、「きずな」の「貯金」と言えるものでしょう。

大浦のお爺ちゃん・お婆ちゃんを都会的な環境に、(あくまでも善意で良かれと思って)連れ出してしまうことは、「畑がない」などの「環境要因」的に問題があると同時に、「きずな貯金」という、長い時間をかけて培った財産を台無しにしてしまう、ということなのかもしれません。

命を受け止める覚悟

とはいえ、さすがに医療機関がないと言うのは不安ではないでしょうか。都会に行けば病院も近くて、何かあった時も安心なのに、……もしかしたら彼らがそうしない背景には、「命の終わりを引き受ける覚悟が集落全体にあるんじゃないか」私はそう感じました。

地域で生まれ、地域で育ち、子を産み、育て、地域で親を看取り、そうして自分も年をとり、その結果、人生の終盤を迎える。

たとえ、もっと命を永らえる手段があったとしても、地域を離れてまで、「きずな貯金」を捨ててまで長生きすることを望まない、たとえ命が短くなっても地域で命を終える、という覚悟。

実際に僕がお話をお聞きしたAさんからも、テレビ画面に映っていたお爺ちゃんお婆ちゃんのみなさんからも、そんな「地域で産まれ死んでいく人間としての自然体の覚悟」を僕はビシビシと感じました。

生活を支える「ほんの少しの医療」

地域全体にここまでの「覚悟」があると、実は「医療」にはあまり出番はないのかもしれません。

診療所からの時々の「往診」があって、

「90越えて体力が落ちてきたら寿命かも。病院に行きたくないなら、最期までここにいていいんだよ」

と言ってあげられる「ほんの少しの医療」。それだけでいいのかもしれません。

番組では、町の保健師の能勢さんが大浦を訪問する様子も映っていました。
能勢さんは言います。

「ここで暮らし続けたいという願いを、いかにいろいろな人たちと支えるか、その方法を見つけていくことが、私の役割なのかな」

能勢さんたちが住む肝付町は、大浦などの地域の見守りのために、各家庭にテレビ電話も設置しています。

医療機関を設置することはできないけれど、町としてできないことはいっぱいあるけれど、いずれなくなってしまう集落かもしれないけど……、こうして住民に寄り添って、諦めずに「見守ってくれる人たち」がいる。どんなに心強いことでしょう。

都市部のような施設も病院もない。でもその代わりここには、「きずな貯金」と「命を受けとめる住民の覚悟」がある。それを「諦めずに見守ってくれる人たち」がいる。

その背景には、

◯きずな貯金
◯命を受けとめる市民意識
◯生活を支える医療

の3つがあったと私は思っているのですが、もしかしたら大浦のお爺ちゃん・お婆ちゃんも、同じなのかもしれないですね。

森田 洋之(もりた・ひろゆき)
医師、南日本ヘルスリサーチラボ代表
1971年横浜生まれ、一橋大学経済学部卒業後、宮崎医科大学医学部入学。宮崎県内で研修を修了し、2009年より北海道夕張市立診療所に勤務。同診療所所長を経て、現在は鹿児島県で研究・執筆・診療を中心に活動している。11年、東京大学大学院H-PAC千葉・夕張グループにて夕張市の医療環境変化について研究。14年、TEDxKagoshimaに出演、「医療崩壊のすすめ」で話題を集める。16年、著書『破綻からの奇蹟~いま夕張市民から学ぶこと~』にて、日本医学ジャーナリスト協会優秀賞を受賞する。これまでに、厚生労働省・財務省・東京大学・京都大学・九州大学、その他各種学会など講演多数。また、NHK・日本経済新聞・産経新聞・西日本新聞・南日本新聞・日経ビジネスなど取材多数。