「部長ならできる」はダメ人材なのか
バブル崩壊の余波から大企業の倒産が相次いだ1990年代の終わり頃に、頻繁に話題になった、少々心ないエピソードがある。それは、大企業が倒産して求職中の中年サラリーマンが、ハローワークの面接で「あなたは、何ができますか?」と問われて、「部長ならできます」と答えたという話だ。
役に立つ「スキル」がないと人材には価値がないという話と、特定の会社の中だけで仕事をしていた人は外の世界で役に立たないといった説明が加わるのだが、大企業で恵まれた立場にあった人が今は困っているという状況に対する「ざまあみろ」的な心情が混じった、少し嫌な感じの話題だった。
実際に、面接の様子を見ていた人が話すわけがないだろうと思うのだが、多くの人がそのような中年サラリーマンがいるに違いないというリアリティを感じる、定番の話の一つだった。
しかし、大企業の人事ローテーションの中で仕事をしてきて、特定の専門的なスキルを持たない中高年の中間管理職サラリーマンは世に少なくないはずだ。
では、こうした人は、本当に人材としての価値がないのかというと、それは違うはずだ。しかし、その価値の実現の仕方が難しかったというのが、これまでの現実だった。