これらの事業者に、確認のため「何処で亡くなりましたか」と尋ねると、一様にけげんな表情で責任者は答える。「ここは自宅と同じ生活をする場ですから、ここで亡くなるのが当然でしょう」とすぐに言葉が返ってくる「変なことを聞いてきますね」と言わんばかりである。

 あれほど「普通の暮らし」を強調してきたのだから死に際しても同様でしょう、という表情だ。リートフェルドの施設長は「ここには老人専門医がいますし、家庭医(GP)も来ます。なぜ病院に行くの」と聞き返されてしまった。自宅にいれば近くの家庭医(GP)の診察を受けるのがオランダの制度。加えて「病院は治療するところですから」とも説明する。

リートフェルト売店
リートフェルトの施設内にある売店。普通に買い物をすることもできる

 つまり、こうした施設で亡くなる人たちのほとんどは、自然な死への歩み、老衰死である。治療を施すレベルではないという判断だ。その最初の兆候は食事量が減ること。「家族や家庭医、老人病の専門医たちが話し合います。食べられなければ食膳を下げ、無理に食べさせません」とグルテンハウスの施設長は話す。

 死亡者が多いのは「元々施設に入所するのは、相当に重度の人ですから」と多くの施設では内情を明かす。自宅を離れ、進んで施設に入所する高齢者はどこの国でもほとんどいないだろう。自宅での支援が24時間続けることが難しくなったから入居する。やむを得ずの心境である。認知症の場合は家族からの入居要望も多いという。

 日本のように、容体が変化するとすぐに救急車が呼ばれ、受け入れた病院では徹底的な治療という名の「延命治療」が施される状況とは大違いだ。                      

スタッフの働き方には日本との違いも
支えるのは多くのボランティア

 居住環境や終末期の対応だけがケアの姿ではない。多くの施設で、スタッフの働き方が日本とは大きく違うことも痛感させられる。まず、浴槽がないこと。居室の近くには、隣室の入居者と共用のタイル敷きの水回りの部屋がある。便座と洗面台それにシャワーホースとそのための椅子などが壁際に配置され、かなりの広さだ。車椅子で回転できる広さが確保されており、4畳半ほどはある。

 自宅でもシャワー浴の習慣だから、施設で浴槽を見ることはほとんどない。入浴介助が職員の大仕事となっている日本とは大違いだ。