成功は失敗の中からしか生まれない――NTTぷらら・板東浩二社長と“エッジがきいた人たち”との対談連載、今回は「LINE」と「C CHANNEL」、両方を世に売り出したIT業界のレジェンド・森川亮氏に話を聞いた。
シンプルにしか考えられない
だからこそ今がある
板東 森川さんは日本テレビ在職中、日本で初めて選挙特番の出口調査のシステムを立ち上げられていますよね?ほかにも、インターネットサービスプロバイダーも立ち上げられたとか…。
森川 システムの部署にいたんですが、番組製作に携わりたくて、勝手にプロデューサーと話して企画を立ち上げてテレビに出たんです(笑)。すると上司に怒られたんで辞表を出しました。ところが、送別会も終わったあと、役員会に呼び出されて「もう、好きなことやっていいから残れ」と新たな部署をつくってもらえたんです。そこでプロバイダーをやった、と(笑)。
インターネットって普及し始めた頃、大企業にとっては「アンダーグラウンド」のような存在じゃありませんでしたか?とくにメディアには「あんなものやらない」といった空気がありました。でも、僕は絶対に必要だと思っていたんです。
板東 日テレを辞めてソニーに行かれたのは、プロバイダービジネスを立ち上げて、やることがなくなったからですか?
森川 社内の雰囲気が変わってきたんです。当時『電波少年』が人気で、ちょうどバナー広告も出始めた時期だったので、電波少年のホームページをつくって大きなバナー広告を付けたら、売り上げが入ってきました。次にガラケー向けのページをつくって、docomoさんにお願いしてNG集をまとめて動画の月額課金を始めたりしたら、結構、利益が出始めたんです。また、アジアに番組の動画を配信して現地のケーブルテレビで放送し、そこの広告を売る事業も立ち上げました。
ところが同じ時期に、日テレの視聴率が1位になったんです。それで社内が「テレビ以外の事業なんかやるな」といった雰囲気になってきたんです。すると僕の出番は限られるな、と…。
板東 ソニーに行かれてからは、毎日、企画書や事業計画書を出しておられたそうですね。
森川 そうなんです。でも何を出しても「何となくうまくいかないと思う」といった曖昧な理由で通らず、ついに上司とけんかして、会社に行かなくなってしまった、という(笑)。いい会社なんですが、時期が悪かったのかもしれません。
板東 森川さんは優先順位が人と違うんじゃないですか?「シンプルに考える」という著書の通り、しがらみは気にせず、結果を出すことしか考えない、という…。
森川 曲がったことは嫌いというか、正しいものを「正しい」と言えない環境がすごく苦手なんです。だから「これをやるとうまくいく」とか「このままじゃ駄目だ」とわかっているのにやらないとか、「提案するとつぶされる」みたいな理不尽な環境に行くと、ムダな戦いを強いられる気分になります。
どこに行っても、世の中のトレンドとか、そういうものを否定するために一生懸命頑張る人っていませんか?例えば「これ海外で流行ってます」と言うと、うまくいっていない事例をいっぱい集めてきて「でも、こんな失敗しています」と、つぶしにかかるとか。そういう人と戦うって、本当に大変です。今は年齢も重ねたので、真っ正面からは戦いませんが(笑)。