21世紀生まれの唯一のJリーガー、高校2年生のMF久保建英(17)が、出場機会を求めてFC東京から横浜F・マリノスへ期限付き移籍したことが注目を集めている。スペインの名門FCバルセロナに才能を見初められ、10歳だった2011年の夏に異国の地で心技体を磨き始めるも、自身の力の及ばないところで公式戦に出られない問題が生じ、14歳の時に志半ばで帰国。新天地として選んだFC東京の下部組織で同世代のライバルたちに先駆けて濃密な経験を積み重ね、16歳だった昨年11月1日にはプロ契約を結んだ久保が、愛着あるチームをあえて飛び出したのはなぜなのか。現状に対して抱く思いや将来に描く夢を踏まえながら、2年後の東京五輪、4年後のワールドカップ・カタール大会出場も期待される逸材のホープの決断を追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)
14歳で失意の帰国をした久保が
古巣フロンターレではなくFC東京を選んだワケ
普通の高校生ならば、1日は学校へ行くことから始まる。授業を受け、休み時間には友だちと他愛もない話に花を咲かせては笑い、お昼休みの弁当を楽しみに待ち、放課後は部活動に励む。サッカーの場合はJクラブ傘下のユースチームに所属し、夕方から始まる練習へ通う高校生も少なくない。
しかし、今年6月に17歳になった高校2年生の久保建英は、自らの強い意思で普通とは異なる道を選び、全力で突っ走ってきた。すでに数多くを経験してきたサッカー人生のターニングポイントをさかのぼっていくと、15歳になる直前だった2015年5月に下した決断に行き着く。
10歳の夏から高いレベルの中で心技体を磨いてきた、カンテラと呼ばれるスペインの名門FCバルセロナの下部組織を退団。生まれ育った日本でサッカーを続ける道を選んだ久保は新天地として、FC東京の下部組織のひとつ、U‐15むさしへ加入することを決める。
スペインへ渡る前は、川崎フロンターレの下部組織に所属していた。異国の地でプロになる夢を描いていた久保だったが、バルセロナが犯した18歳未満の外国人選手獲得及び登録違反の煽りを食らう形で、公式戦の出場停止処分が続いていたことで、断腸の思いを胸中に秘めて帰国する。
この段階で古巣でもあるフロンターレではなく、FC東京を選んだのはなぜなのか。久保の父親とFC東京の大金直樹代表取締役社長(51)が以前から懇意にしていたことに加えて、久保の育成プランに関して、他のJクラブとは一線を画す青写真をFC東京が提示したからだろう。
サッカーの育成年代では「天井効果」という言葉がよく使われる。周囲と比較して突出した才能をもつ子どもを、同じ年齢カテゴリーのままでプレーさせていては刺激が少なくなり、マンネリ感を覚え、やがては伸び悩んでしまう。中にはいわゆる「お山の大将」になる子どももいるだろう。
早くにして「天井」に背が届いてしまった子どもの才能を、可能な限り早く開放させるにはどうしたらいいのか。答えは単純明快。天井の高さをより上げればいい。固定概念にとらわれることなく、例えば中学生ならば高校生年代のユースチームへ「飛び級」で昇格させてプレーさせる。