以前、当社でも被害に遭いました。納入先だった日本のあるメーカーが中国で立ち上げた合弁会社に出入りしていた中国の下請け企業を通じて、ある化学薬品の製造方法が丸ごとコピーされてしまった事件がありました。中国でビジネスを行うということは、ある程度の覚悟が必要になるということです。

 時間はかかると思いますが、将来的に中国は大きく変わっていくはずです。これまでは、被害に遭った日本企業は“泣き寝入り”をせざるを得なかったと思いますが、やはり国際的なルールに則って主張すべきは主張するという行動が、今後はものすごく大事になってくるのではないかと私は考えています。

新潟発のビジネスモデルを
新興国プロジェクトに応用

――ところで、国内には、旧三菱財閥の流れを汲む化学メーカーが数多くありましたが、近年は連結売上高3兆7244億円(17年度)の三菱ケミカルホールディングスに集約されつつあります。

 当社も、三菱グループの一員ではありますが、出自が違うために企業文化がかなり異なります。事業に対する考え方も、相当に違っていると思います。

 今から100年前の1918年(大正7年)に、三菱製紙に化学薬品を納入する子会社として発足した旧三菱江戸川化学と、戦後の51年(昭和26年)に設立された旧日本瓦斯化学工業が71年に合併し、三菱ガス化学として再出発しました。新潟県に天然ガスの鉱区を持っていた旧日本瓦斯化学は、日本で初めて天然ガスを原料にしてメタノールの生産を始めた開拓者でもあります。

 現在、連結売上高は6359億円(17年度)ですから、三菱ケミカルホールディングスなどの総合化学メーカーと比べると小さく見えるかもしれませんが、メタノールの分野では、世界に広域展開する供給事業者としては世界第2位のプレーヤーです。当社のルーツの1つである新潟県では、今日でも探鉱や掘削など“最上流”から手掛けている。近隣地域ではガスの卸供給も行っています。

――さまざまな化学製品を生産する素材メーカーでありながら、なぜ、今でも祖業である資源開発という機能を維持し続けているのですか。