超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!
第1章 バブル、再び(5)
男だ。たくましい長身に濃紺のスーツ。ワックスで固めた短髪と褐色の肌。太い首にがっちりしたあご、鋭い一重の目。張り詰めた雰囲気が漂うアスリート風の男だ。会場の奥、きらびやかな夜景を背景に、中背の男と話している。有馬はささやく。
「背の高いほうか?」
当然、と富子は瞳をレーザービームのように据えたまま答える。
「とんでもない男よ」
とんでもない?有馬は男の横顔を凝視する。年齢は40代半ばか。実業家?俳優?それとも引退した有名スポーツ選手?わからない。初めて見る顔だ。
「だれだよ」
知らないの、と富子は語尾を上げ、放り投げるように言う。
「ジョーでしょ。ジョーリュウイチロウ」
城隆一郎。知る人ぞ知る、凄腕投資家だという。
「個人投資家として数百億の資金を動かし、莫大な利益を得ている生粋の一匹狼よ」
世界的な投資銀行、『ゴールドリバー』のニューヨーク本社でファンドマネージャーとして確かな実績を残した、別名“金融界のイチロー”とか。ちなみに独身。
「その素顔は厚いヴェールに包まれて、どういう私生活を送っているのか、だれも知らないのよ」
お手上げ、とばかりに富子は肩をすくめる。
「ときどき、思い出したように業界人のパーティに現れ、若い女をつまんでお持ち帰り。カネはうなるほど持ってるし、あれだけイイ男で独身ならつまみ放題だよね。しかも一夜限りの後腐れなし」
富子は語るほどに興奮するらしく、声が上ずり、ほおが燃えるように上気する。
「今夜、このパーティに現れるという極秘情報をキャッチしてね」
白い歯を牙のようにきらめかせて笑う。
「めでたくビンゴッ、でした」
「おまえもつまみ食いされたいのか」
ばかやろう、と富子は声を低めてののしる。
「あたしはビジネスパートナーになるんだよ。そのへんの頭スカスカの尻軽と一緒にすんな」
そうですか。
「会食の約束を取りつけられたら最高だけど、最低限、名刺くらいゲットしないと」
「今夜の獲物、いやターゲットはあいつか」
返事なし。富子はバッファローの動きをうかがうサバンナのハンターのように凝視している。あれ? 城の相手の様子がおかしい。両腕を広げ、険しい顔だ。有馬はそっと歩み寄る。富子もついてくる。密談相手の声がかすかに聞こえる。有馬は足を止め、耳を澄ます。
そこまでコケにして楽しいのか、見損なったよ、おまえのことを見込んでわざわざ──。
城は両腕を組み、あさっての方向を向いている。黙殺された男は口をつぐみ、下を向く。
「だれだ、あいつ」
「どっかの貧乏人でしょ」
富子は素っ気なく言う。
「あんたと甲乙つけがたい貧しい身なりだし」
中肉中背の地味な風貌。古びたジャケットに脂っけのない髪。ゴム底の革靴。たしかにセレブパーティには不似合いの冴えない中年男だ。サクセスジャンキーの毒舌が炸裂する。
「城さんに女とられて八つ当たりしてんじゃないの?でも、あんな貧乏神みたいな男じゃ当然よお。ここに来ている女が相手にするわけがないじゃん。大富豪の城さんとは較べものにならないね。カスだよ、負け犬のカス。さっさとどきなよ」
富子は城以外、まったく眼中にない。
「ほら、貧乏神、どけっ、あんたが城さんにモノ申すなんて50年、いや100年早い、分をわきまえてどけっつうの」
パチン、と指を鳴らす。
「おお、どいた」男が離れる。富子がにんまりする。
「あたしの願いが天に通じたみたい」
城がひとりになる。富子は笑みを消し、前傾姿勢をとる。獲物にロックオンした海千山千の女豹。
「富子、健闘を祈る」
有馬がその場を立ち去ろうとすると、富子はあわてて引きとめる。
「ブンヤ、待ってよ」
細い眉を八の字にして訴える。
「一緒に行こうよ」
「どこへ」
「城さんのとこよ。ひとりだとなにかと警戒されるから」
さすがサクセスジャンキー。鼻もちならない自信家とはいえ、己の数々の悪評は承知しているらしい。ひとが変わったような甘い口調で誘ってくる。
「城さん、すごい情報通だから美味い取材ネタもあるかもよ」
「天下の椎名マリアがそんな弱気でどうすんだ」
そんなあ、と富子がすがるように見つめてくる。有馬はここぞとばかりに畳みかける。
「いまが人生の勝負時だろ。これまで磨き上げた手練手管を繰り出し、色気フルスロットル、玉砕覚悟で突っ込んでみたら、道は開けるかもよ」
じゃあな、と片手を挙げ、さっさとボロ靴を踏み出す。
一転、富子は怒りの形相でなじる。
「なんだよ、臆病者。超金持ちのセレブにびびったのか」
有馬はかぶりを振って返す。
「やっぱおれ、こういうとこは苦手だわ。人間、分をわきまえねえとな。しょせん、貧乏神だからさ」
「だからあんたはダメなんだよっ」
なんとでも言え。有馬の気持ちに迷いはなかった。密かに狙いをつけたターゲットを追い、速足で歩く。ワンマンショーこと牧口翔が去った会場は、祭りの後にも似た弛緩した空気が漂っている。わが世の春を謳歌する東京のセレブたちも、世界を股にかけたグレートショー、牧口の前では取るに足らない、ひと山いくらの小金持ちにすぎない。
有馬は気の抜けた群衆をかき分け、足を速める。
視界の端、熟練のハンターのように素早いステップで城隆一郎に接近し、楚々とした淑女の表情で話しかける五反田富子。城も笑顔で応じ、ふたりは談笑に突入する。マジかよ。有馬は思わずつぶやいた。謎のヴェールに包まれたカリスマ投資家も、“クールビューティ”椎名マリアにあっさり陥落か?
有馬は落胆し、先を急いだ。いま、追いかけるべきターゲットは他にある。
(第1章終わり、第2章に続く)