超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!
第1章 バブル、再び(4)
「若く見えるけど、もう30代半ばよ」
富子は舌打ちをくれて言う。
「虫も殺さない可愛い顔して、やることはえげつないからね」
大学時代は“ミスコン荒らし”で知られ、外資系銀行を経て、いまは求人情報ウェブサイト『ヒューマンエージェント』の代表として稼ぎまくっているのだという。
「営業スタッフは笑顔とアニメボイスが売りの、アイドル崩ればかりでね。アイドル大量生産、大量廃棄の時代、仕事にあぶれた若い女を言葉巧みに誘い、フルコミッション契約でこき使い、鼻の下を伸ばした客をブラック企業に押し込んで左団扇よ。いまや年収8億だもん」
小柄できゃしゃなアイドルとは真逆の、クールビューティは憎々しげに語る。
「日本の男は根がロリコンだからああいうのが好きなのね。『ヒューマンエージェント』に投資している連中も自動車メーカー創業家のボンボンからIT企業CEO、パチスロチェーンオーナー、超有名芸能プロデューサーまで、カネが余っているドすけべなおっさんどもがずらりと間抜け面を並べているもの。抜群のジジイ殺しトークと、身体を張った極上の接待で一発らしいよ」
「マジかよ」思わず声が出た。
「マジもマジ。すっごい床上手って噂だもの」
富子は目に淫靡な色を浮かべて言う。
「いざとなれば営業スタッフからえりすぐった超美形の接待軍団もいるしね。3P、4P、なんでもあり。芸能界仕込みの枕営業で鍛えられているから、遊び慣れた男もイチコロよ」
想像するだけで頭がクラクラする。まったく、どいつもこいつも。
「でも、成功者ばかりじゃないから」
富子は慰めるように言う。
「光がまばゆい分、影も濃いって言うし」
フロアをぐるりと見回す。
「この華やかなパーティ会場もひと皮むけば死屍累々だものね」
死屍累々?欲望と活気に満ちたスーパー成功者たちが群れ集うこの豪華な金魚鉢が?
「ほら、あいつ」
富子が目配せをする。バーカウンターで片肘をつき、黙々とグラスをかたむけるジャニーズ風のイケメン。その目はうつろで、心ここにあらずといった風だ。
「元大手証券会社のディーラーでね」
有馬は息を殺して聞き入る。
「年収が1億を下らない辣腕だったけど、使い込みをやらかして全部パー」
派手な遊びが高じて会社のカネに手をつけ、懲戒解雇を食らったのだという。
「そんなやつがどうしてここに?」
会社を放り出されたにしてはスーツも靴も高級で、カネに詰まっている様子はない。
これよ、これ、と富子はほおをすっと指先で裂く真似をする。有馬は声を潜めて問う。
「ヤクザがどうした」
喰いつめたディーラーがヤクザに転身したのか? 富子は意味ありげな笑みを浮かべて返す。
「雇われてんのよ」
はあ?
「だからさあ」周囲に警戒の目をやり、小声で続ける。
「いまどきのヤクザさん、暴対法だなんだで警察に締め上げられて、シノギに困ってるでしょ」
たしかに。組の代紋入りの名刺を差し出しただけで脅迫罪に問われ、パクられるご時世だ。上部組織に上納金をおさめられず、解散に追い込まれる組も珍しくない。情婦をソープに売り飛ばし、それでも上納金が足りず、ヤケになって拳銃で自分の頭をふっ飛ばした親分もいる。極道はいまや絶滅寸前、業界全体が斜陽産業だ。しかし、それと元辣腕ディーラーとなんの関係がある?
もう、と富子が肘で突っついてくる。
「ヤクザ業界はあんたのテリトリーでしょうが」
返す言葉がなかった。富子は説明する。
「だから経済ヤクザの切れ者が雇って、株の売買をやらせてんのよ」
噂では聞いたことがある。さばけた経済通のヤクザがマンションの一室にディーリングルームを開設。ワケありのディーラー連中を高報酬で雇い、派手に稼いでいる、と。
「最初は上手くいってたらしいけどね」
ということは──。
「強欲なヤクザさんにキャピタルゲイン、つまり株の売買差益のハードなノルマを与えられ、あまりのプレッシャーに耐えきれず、ああなっちゃったのよ」
ああなっちゃった──。イケメンディーラーのうつろな目が宙を彷徨う。なるほど。
「身も心も疲れ果てた虚脱状態ってわけか」
語りながら、身体の芯から熱いものが湧いてくる。忘れていた取材の熱だ。気がつけば一歩踏み出し、右腕を背後からがっちりつかまれていた。
「ブンヤ、あせるな」
富子が怖い声で制止し、腕をぐっと引き寄せる。
「話はまだ終わっちゃいない」
うっせえ、有馬はつかむ手を振り払い、富子に指を突きつける。
「どっかに美味いネタはないかと、こんないけ好かねえ金ピカの場所にもぐり込んだんだ。極道に雇われた地下ディーラーなら取材対象としてバッチリだ。これを見逃したら物書きじゃない」
「だからブンヤ、落ちつけって」
富子は諭すように言う。
「あいつのここ」
指先で己の鼻の下を撫でる。
「おかしいでしょ」
有馬は凝視する。イケメンの鼻の下──。薄いピンク色に爛れている。もしかして。
「コカイン、か?」
そう、と富子は重々しくうなずく。
「プレッシャーに耐えかねてやってんのよ。雇い主のヤクザさんに格安で流してもらってさ」
「それで効果はどうよ」
「最初こそ気分がハイになり、プレッシャーからも解き放たれ、恐れを知らぬ大胆な売り買いで上々の運用実績を挙げていたらしいけど……」
ふう、とわざとらしくため息を吐き、かぶりを振る。
「いまは本物のジャンキーとなり、脳みそぐっちゃぐちゃ。ディーラーとしてはもう使いものにならないって噂。本人はまだ諦めちゃいないけどね」
有馬の胸を黒々としたものが満たしていく。
「今夜、雇い主のヤクザさんが、同世代の起業家連中から刺激を受けて少しでも立ち直るきっかけになれば、と親心で参加させたわけよ。でも、あれじゃあねえ」
地下ディーラーのとろんとした目が哀れだ。
ほら、と富子が目配せする。
「怖いおにいさん方もついているしね」
少し離れた場所でグラスをかたむけるブラックスーツのふたり。目つきが鋭く、硬質のオーラをまとっている。闇社会の監視役だ。
「取材、しないの?」
面白がるように顔をのぞきこんでくる。有馬は返す。
「終わった人間に興味はない」
ふふん、と口元で笑い、富子は言う。
「夢よもう一度、ってあがく男はみっともないもんねえ。でも──」
意味ありげな一瞥をくれ、しゃあしゃあと語る。
「ゴージャスな夢を味わったことのない男はもっとみじめだけど」
ちっきしょう。やっぱこんな場違いなとこ、来なきゃよかった。
「さあ、そろそろお時間ですっ」
マイクを持った田代が叫ぶ。
「牧口会長、ありがとうございましたあっ」
拍手と歓声が飛ぶ。小柄な牧口が両手を掲げて応える。汗みずくのピアニストが髪を振り乱し、『炎のランナー』を激しく、情熱的に奏でる。
田代は大きく手を振り、いちだんと声を張り上げる。
「会長、お気をつけて、ニューヨークまでよい旅を。大統領によろしくお伝えくださいっ」
うへえっ、とセレブ連中から奇声が上がり、指笛が鳴る。われらがグレートショー、日本のために頑張ってえ、と若い女の黄色い声が飛ぶ。ボディガードと側近、秘書、顧問弁護士に囲まれ、去って行く笑顔の牧口。ショー、ショー、グレートショー。大声が響き渡る。
いい頃合いだろう。帰るか。有馬はボロの革靴を踏み出した。が、すぐにその場で固まる。富子の様子がおかしい。オイルを垂らしたようにぎらつく瞳が一点を見つめて動かない。有馬はサクセスジャンキーの、その熱っぽい視線の先を追う。