片山さつき氏の生活保護批判は
ポジション・トークだろうか
『週刊文春』2018年10月25日号は、片山さつき地方創生大臣の財務省に対する「口利き疑惑」をスクープした。10月22日、片山氏側は名誉毀損に対する損害賠償を求めて東京地裁に提訴している。現在のところは不明点が多く、「片山氏が金銭を受け取って口利きを行なった」と間違いなく判断できる事実は伝えられていない。
しかし私の身辺には、生活保護問題や貧困問題に対する片山氏の発言、とりわけ生活保護や貧困の当事者に対する発言を思い起こして、怒りを新たにする声が多い。
片山氏の主張の内容は、「生活保護は、親族扶養や血縁者による支え合いなど日本の伝統的モラルを破壊している」「生活保護は、働けるのに働かない人々を生み出す」「不正受給こそが生活保護の大問題」「生活保護は、権利ばかり主張して義務を果たさない人々を生み出す」「外国人に生活保護を適用すべきではない」といったものだ。
片山氏がそのような発言をするたびに、生活保護で暮らす身近な人々の悲鳴が上がる。虐待やDVを含む深刻な事情によって最初から親族の「絆」につながれない人がいる。強引な就労指導が行われた結果、自らの命を断つ人もいる。外国人に対する生活保護の適用は厳格化が進んでおり、むしろ厳しすぎることによる弊害の方が多い。日本国籍ではないことを理由として、誰かに「生きるな」と言えるのだろうか。
また片山氏は、2016年8月、NHKが報道した女子高生の「貧困」に対して、SNSで「チケットやグッズやランチ節約すれば」「あれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう」(原文ママ)と批判し、大きな反響を呼び起こした。その女子高生の状況は「相対的貧困」というべきものだった。友人たちと同等の生活をすることは困難だが、生存にかかわる「絶対的貧困」より恵まれた経済状況にあることは間違いない。では、女子高生は「貧困」ではないのだろうか。
10月23日には、麻生太郎財務大臣が、不摂生な人の医療費を健康な人が保険料によって負担することを「あほらしい」とした知人に同調を示し、またもや大きな反響を引き起こしている。
SNSを飛び交う数多くの意見を見ながら、私はムズムズする。片山さつき氏は元大蔵官僚、麻生太郎氏は現職の財務大臣だ。財務省との強い関係があること、あるいは財務行政に関して責任ある立場にあることは間違いない。しかし、財務省は社会保障や福祉の専門家集団ではない。財務当局の意向が、生活保護問題や貧困問題に影響を及ぼすこと自体の是非を考えるべきではないかという気もする。
本稿では、「生活保護」に対する片山氏の活動を中心に、この問題を考える糸口を提供したい。